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名前 |
阪本天山の碑~大窪邨中邨氏墾田碍記~ |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
ここは元々低松淵と呼ばれた深い深い淵で龍が棲んでいると伝えられていた。ところが寛政元年(1789)天竜川が氾濫して流れが西側となり、低松淵一帯は干潟となってしまった。これに目を付けたこの地に住む中村氏が開田を始め三年の月日をもって寛政四年(1792)ついに完成させた。中村氏とは旧知の仲であった阪本天山(1745~1803高遠藩士、漢学者、砲術家。看板に坂本とあるが阪本が正しい)は、完成時にここを訪れその壮挙に感銘を受け中村氏の事業を称える碑文をこの大石に刻んだ。しかし、この石は表面が崩れやすく今となっては碑文はまったく読み取れない。