無料で巡る戦争の記憶。
旧日立航空機立川工場変電所の特徴
東大和市の文化財で、戦争の遺構を間近に体感できる場所です。
公園内に佇む歴史的な変電所の存在感は圧巻です。
予約不要で入館可能なため、思い立ったらすぐに訪問できます。
玉川上水駅より北東方向の徒歩10分程にある戦災建造物である日立航空機株式会社立川工場変電所、外壁に残る無数の穴はアメリカの小型戦闘機による機銃掃射やB-29爆撃機の爆弾がさく裂し出来たもので80年以上前の記憶を留めるため、東大和市文化財として指定され保存・公開されこととなった。
身近な戦争の遺構。生々しい機銃掃射の爪痕が悲惨な歴史を今に伝えています。今回、国分寺市人権課主催の見学会に参加して初めて訪れました。私が子供の頃(昭和40年代後半)は、近所のお百姓さんの敷地の至る所に防空壕の跡があったりして、親からも話しを聞かされて確かに戦争があったんだということを何となく理解していました。今はそういう場所もなくなり、探検という名で農地に不法侵入をする悪ガキもおらず、親から戦争中の話しを聞かされることもないでしよう。今の子どもさん達にかつて戦争があったということを伝えるためにも後世に遺して頂きたい貴重な文化遺産だと思います。
公園内の一角にある古い建物が目印です。第二次世界大戦時、爆撃攻撃を受けた軍用施設。関東で現存している戦争遺構になります。半島沿いの海の近くなどですと地下壕や砲台跡が残っておりますが被災した建物がそのままあるのは珍しいと思います。建物内部も入って見学が可能です。2階まで上がることが出来て、説明の人もおりました。公園になる前の周辺の状況も知ることが出来るので、公園に来た時は見学をおすすめします。入口に「NO WAR」の横断幕が付いてます。
公園の中にあって存在感があります。90年代まで実際に変電施設として使用されていたようですが、戦中の空襲の際に出来た機銃掃射の弾痕が壁面のいたるところにあります。現代としては貴重な、戦前のコンクリート建築を間近で見られるので興味深いです。日によっては内部も見学できるそうです。
「西日本は原爆ドーム、東日本は旧日立航空機立川工場変電所」・・・「しかも、原爆ドームは立ち入り禁止、こちらは入館が可能だ・・・まあ、比較にはならないが、考えてみれば東日本にはこういうところがあるのは先週末まで知りませんでした。東大和市は行ったことがないから日曜日に軽く川崎からの遠足。運よく、中の展示会が開館中(水・日のみ)。入場料はかからず、すぐ市に務まれている年配の方が近づいて、説明しましょうかと聞かれました。先に言いますと、90分ほど詳しく説明していただきました。ただの説明ではなく、いろいろ考えさせる、場合によってクイズ式の説明でした。当時(1945年)何が起きた研究はとても著しく、興味深かった。今は当たり前のように子供達がこの銃弾の穴だらけの建物の前でボール遊びしていますが、1945年には14歳の子供を含む1万人以上の労働者がこの辺にあった工場で重労働して、「生産が止まってしまうので、空爆の警報があっても絶対逃げない」との命令を受けたそうです。結果としては百人以上が犠牲になってしまいました。とはいえ、やはり広島の恐ろしい原爆との比較にはなりませんが、おかげさまで当時の現状・苦労・戦争の恐ろしそうがよくわかりました。その恐ろしさを伝える場所は関東地方で確かにここだけかもしれません。ご案内した方に感謝。ぜひ、この場所を大切にしてほしい。
戦災建造物 東大和市指定文化財旧日立航空機株式会社変電所平日に公園を通り抜けようとしたところ、スタッフの方がいて、パンフレットを配っていたり、説明をしていたようなので、立ち寄ってみました。一際目立つ外観になんだろうなぁと思っていましたが、戦争の生々しい爪痕が残った建物です。変電所なので、メカニカルな構造体が残っていて、好きな方はいるのではないかと思います。基本的には水曜日と日曜日に無料で解放されているようです。
2024.11【入場料】無料予約不要で水曜日、日曜日に公開。1938年(昭和13年)から1993年(平成5年)まで使用されていた変電所で、「西の原爆ドーム、東の変電所」とも称される戦争遺跡。外壁に残る弾痕のあとが生々しく、戦争の凄まじさを感じることができます。下記時間に職員の方による説明が行われています。午前10時45分~午前11時30分(45分)午後2時~午後2時45分(45分)開始時間に間に合わず説明を受けることはできませんでしたが、結構長く説明されていました。戦後79年が経ち、戦争を実感できるものを遺しているのはとても大切だと感じます。ニュースなど画面越しではないリアルを感じることは数万言に優る体験になります。【概要】この変電所は、航空機のエンジンを生産する軍需工場へ送電する変電施設として1938年(昭和13年)に東京瓦斯電気工業株式会社変電所として作られた。翌年には日立製作所と合併、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所に改称する。戦局の激化に伴い1945年(昭和20年)2月17日、F6Fヘルキャット戦闘機、4月19日、P-51ムスタング戦闘機らによる機銃掃射、4月24日にはB-29 101機の編隊による空襲により被災。隣接する工場は大破したが変電所は大きな被害は免れた。戦後は、東京瓦斯電気工業を合併した富士自動車(後の小松ゼノア)の変電所として機銃掃射を受けたクレーター状の弾痕を残しつつ、内部の変電施設の更新を実施しながら1993年(平成5年)まで変電所として使用された。
| 名前 |
旧日立航空機立川工場変電所 |
|---|---|
| ジャンル |
/ / |
| 電話番号 |
042-567-4800 |
| 営業時間 |
[水日] 10:30~16:00 |
| HP |
https://www.city.higashiyamato.lg.jp/bunkasports/museum/1006099/1006102.html |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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戦前の航空機メーカーと云えば三菱、中島(富士重工)、川崎、川西(新明和)などの認識でした。当地で日立がエンジンを生産していたことを初めて知りました。1945年に3度の米軍による空襲があり、多くの死傷者がありました。その人々の慰霊碑がこの施設内に移設されており、そこには日立製作所と小松ゼノアの企業名が記載されていました。訪ねた当日は説明員から丁寧な解説を頂戴しました。その方は戦後に米軍が公開したAfter-Action Review(事後報告書)を取り寄せて、空襲したパイロットの報告と当地の弾痕との突き合わせをされ、当建物に残る弾痕の入射角度から襲撃時の航空機の高度を予測されていました。その方は建物1階の天井付近に弾痕が有り、その弾痕が何故あるのか説明できないとおっしゃっていました。恐らく当時地上にあった高硬度の物体を介して天井に至ったのでしょうが、建物以外の周囲は大きく変わってしまい検証不能です。この変電所を継承した企業(小松ゼノア)はたくさんの弾痕が残ったままで1993年まで使い続けていました。そして地元東大和市の皆さんの意思の結果として、戦後12年目に生まれた私が、80年前に実際にあった歴史を振り返ることができました。実は昨年11月に鹿児島県南九州市の知覧特攻平和会館を訪ねていました。その特攻機に搭載されたかもしれないエンジンがこの地で作られていたかも知れず、大変感慨深いものがありました。