懐かしい銅像が迎える場所。
成増すみれこども園の特徴
懐かしい雰囲気を感じる、昔ながらの風景があります。
裏手に広がるマンションの景色を楽しみながら、子供が成長します。
入口の銅像が印象的で、訪れるたびに思い出が蘇ります。
懐かしい〜!昭和55年卒園。駅の反対側からチャリ🚲で母ちゃんの後ろ乗って通ってたわ🤣確か隣は畑かなんかで、芋掘りしたような。ってか、マンション建ってるし💦担任は百瀬先生だったかなー。昼食の後の肝油が好きだったなー(笑)
入り口にある銅像を見ると、いかに自分が年をとったのかを思い知らされる。私が通っていた頃は通園バスなんかなかったので幼稚園まで2キロほどの距離を毎日歩いて通っていた。その時の園長先生が銅像になっているなんて…
昔は、裏手にあるマンションの場所を含めた広い幼稚園だった。元々、学校だった場所を幼稚園にしたらしい。私はこの幼稚園の卒園生で、古い木造2階建ての校舎(園舎?)の頃に通っていた。元々が学校だから校庭が広く、運動会をする場合、幼稚園児では広すぎるため隅っこだけでやってた記憶がある。また、2階建てだったけど、使ってたのは1階のみで、二階には上れないようになってた。古い学校だったせいか、校舎の入り口に二宮金次郎の石像があった。幼稚園児に二宮金次郎なんかわかるはずもなく、「なんでこの子は、薪を背負って本を読んでるんだ?」と、いつも不思議に思っていた。この幼稚園が建て替えられたのは私が卒園して2~3年後くらいの頃らしいが、卒園して以来、滅多に行かないから気づかなかった。二宮金次郎の石像は処分されたのかと思っていたら、幼稚園のそばの畑に置かれてたが今もあるのだろうか?(幼稚園の脇から裏手の方にあった) 昔は(成増)は付かず、ただの〈すみれ幼稚園〉だったが、昭和40年代に和光市に新たに分園し、大和すみれ幼稚園を開園したことから成増の字を付け足したようだ。今は幼稚園と言えば、通園バスがあって当たり前だが、私の頃にはそんなものは無いから、私の家から幼稚園まで約2キロ強の道をノタノタ歩いて通っていた。ちなみに、私の4歳年下の弟は、大和すみれが開園したため、成増まで行く必要性なかった。そのせいか、私は成増まで歩いて行くのは平気だが、弟はバスでしか行ったことが無い。
名前 |
成増すみれこども園 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
3.9 |
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平成2年か?3年に卒園しました。私の通ってた頃は園バスもあったので、広範囲から通園して来ていたと思います。その頃から今と同じ園庭の広さだったので、保護者が入ると運動会はぎゅうぎゅうで大変でした。それも気にならない素敵な先生方に恵まれ、分園の和光市の園もあるようです。R5/10/12(木)から建て替えるようです。名残り惜しいですが仕方がないですね。11(水)(土日祝は開いてません)まで、アルバムなど展示してくれているようなので、兄妹と行こうかと思っています。