鐘楼門で感じる歴史の深み。
喜多院鐘楼門附銅鐘の特徴
喜多院鐘楼門附銅鐘は国指定重要文化財に指定されています。
江戸時代に造られた鐘楼門が美しい造りで訪れる価値があります。
参道の中央に位置する鐘楼門は歴史的な重要性を持っています。
喜多院鐘楼門附銅鐘〒350-0036 埼玉県川越市小仙波町1丁目20-1 喜多院内案内板の内容を紹介しておきます。鐘楼門附銅鐘(国指定重要文化財建造物)江戸時代の喜多院の寺域は現在よりも相当広く、当時鐘楼門は、喜多院境内のほぼ中央にあり、慈眼堂へ向う参道の門と位置づけられます。また、上層にある銅鐘を描いて時を報せ、僧達の日々の勤行を導いたと考えられます。鐘楼門は、桁行三間、梁行二間の入母屋造、本瓦葺で袴腰が付きます。下層は角柱で正面中央間に両開扉を設け、他の壁面は竪板張の目板打です。上層は四周に緑・高欄をまわし、角柱を内法長押(うつのりなげし)、頭貫(かしらぬき)(木鼻付)、台輪でかため、組物に出三斗(でみつど)と平三斗(ひらみつど)を組みます。中備(なかぞえな)はありません。正面中央間を花頭窓(かとうまど)とし両脇間に極彩色仕上げの雲竜の彫物をかざり、背面も中央間を花頭窓とし両脇間に極彩色仕上げの花鳥の彫物を飾ります。上 層には、元禄十五年(一七〇二)の刻銘がある椎名伊予藤原重休作の鐘を吊っています。寛永十五年(一六三八)の大火に焼け残ったともいわれますが、細部意匠などから判断して銅鐘銘にある元禄十五年頃の造営と考えるのが妥当だと考えられます。昭和二十一年十一月二十九日指定川越市教育委員会鐘樓門上層平面図鐘楼門下層平面図。
喜多院 鐘楼門国指定重要文化財(建造物)喜多院にあるいくつかの国指定重要文化財の中の1つ「鐘楼門(しょうろうもん)」。鮮やかな朱塗りの2階建てで、寛永10年(1633/江戸時代)の建造と伝えられています。鐘楼門の見どころ1それは彫物。正面は「竜」、背面は「鷹」の彫物で色鮮やかな極彩色仕上げです。鐘楼門の見どころの2見えそうで見えない銅鐘です。この銅鐘は、鐘楼門とともに重要文化財に指定されています。(カワゴエールHPより)
国の重要文化財に指定されている鐘楼門です。細かな彫刻が魅力で、歴史を感じます。かつてはこの鐘楼門が喜多院の中心に位置していたそうで、当時の敷地面積は今と比べ物にならないほど広かったことがうかがえます。
何気にある。よく見ると鐘が付いた門です。桜のシーズンも良いですが、時期がずれた夕刻は人もまばらで、趣があります。
案内板によると⊂(・ε・`)ノシ.:∴鐘楼門 附銅鐘(国指定重要文化財・建造物)江戸時代の喜多院の寺域は原材料よりも相当広く、当時鐘楼門は、喜多院境内のほぼ中央にあり、慈眼堂へ向かう参道の門と位置づけられます。また、上層にある銅鐘を撞いて時を報せ、僧たちの日々の勤行を導いたと考えられています。鐘楼門は、桁行三間、梁行二間の入母屋(いりもや)造(づくり)、本瓦葺で袴腰が付きます。下層は角柱で正面中央間に両扉を設け、他の壁面は堅板張の目板打です。上層は、四周に緑・高欄をまわし、角柱を内法(うちのり)長押(なげし)、頭貫(かしらぬき)(木鼻付)、台輪でかため、組物に出三斗(でみつど)と平三斗(ひらみつど)を組みます。中備(なかぞなえ)はありません。正面中央間を花頭窓(かとうまど)とし両脇間に極彩色仕上げの花鳥の彫物を飾ります。上層には、元禄十五年(1702)の刻銘がある椎名伊予藤原重休作の銅鐘を吊っています。寛永十五年(1638)の大火に焼け残ったともいわれますが、細部意匠などから判断して銅鐘銘にある元禄十五年頃の造営と考えるのが妥当だと考えられます。昭和二十一年十一月二十九日指定川越市教育委員会。
名前 |
喜多院鐘楼門附銅鐘 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
4.3 |
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鐘楼門と言うのは、鐘楼と門を別々に造らなくてよいから一石二鳥の施設この造りだと鐘楼のみの造りに見えるが流石、資金潤沢に贅を凝らしております。