金比羅山の哀愁漂う城跡。
上原城跡の特徴
上原城跡は標高978mの金比羅山に位置し、壮大な景観が楽しめます。
地元の方々の諏訪氏への哀愁を感じられる特別な場所です。
歴史的な背景を持つ上原城は、諏訪氏の本拠地として知られています。
上原城は標高978mの金比羅山上に主郭を置いている。麓からの比高は180m程度だが、現在は車で城址すぐそばまで登ることができ、駐車場も設置されている。上原城は規模は大きくないが、綺麗に整備されている。山腹の居館跡(板垣平)と山上の城址部分から構成されている。山上部は山頂の主郭とその先のニ郭、三郭、主郭から大堀切を隔てた出郭という縄張りである。主郭と出郭を隔てた大堀切が見どころである。また三郭からの眺望はとても良い。上原城は諏訪氏の本拠であった。諏訪氏は鎌倉時代から諏訪大社上社の大祝(おおほうり)と呼ばれる神官のトップを世襲する事実上の領主であった。戦国時代前期に諏訪大社下社の大祝であった金刺氏を滅ぼし諏訪地方を統一したが、1542年に武田氏が諏訪地方に侵攻し、諏訪氏は一時滅亡した。武田氏は上原城に諏訪郡代を設置した。その後、武田氏は高島城を築城し、政治的拠点は高島城へと移った。
諏訪氏在城。天文11(1542)年、武田信玄の諏訪攻めにより諏訪頼重は上原城にいて桑原城へ後退し降伏、甲府で切腹。その後、板垣信方が在城したが上田原の戦いで戦死した。以後、武田氏により管理され天正10(1582)年武田氏滅亡後に破却。城跡北東側の案内板のある駐車場から入り堀切、神社と鳥居(鳥居からの眺め素晴らしい)のある三の郭、二の郭(主郭を取り巻く帯曲輪)、主郭(平坦な正方形曲輪)となる。主郭へは少しの上りで楽に散策できました。駐車スペースから主郭まで約10分でした。駐車場から車道下り上原城諏訪氏城館跡に行けます。
車で山道を結構登った。駐車場はあります。堀切や竪堀がよく残っていた。武田氏の改修が入っている。
2018/8/10この城跡には地元の方々の諏訪氏への哀愁のようなものを感じられる。堀や土塁が遺っており、きれいに整備されている。
諏訪氏の本拠。諏訪義重はここを武田晴信に攻められ桑原城に退却している。城址のすぐそばまで林道が伸びており車の方はラクラク、歩きの人は林道途中にある諏訪氏館跡から登っていける。主郭および物見岩のある2郭、主郭背後に深く大きな堀切がある。余談ながら城址案内標識にあった絵(最後の写真)、シンプルながら非常によく特徴を捉えてて誰が見ても晴信に見える!ダルマじゃないよね、やっぱ晴信だw
背後を永明寺山に任せ、南西を正面に幾重にも郭を巡らせているような構成とはいえ、そんなに堅固な要塞というよりも、麓に館跡もあるので統治拠点の意味合いが強かったのかなと感じますただ、もはや山と同化している状態なのでイマジネーションがないとなんのこっちゃわからんかもしらん。全身全霊で歴史を感じてや。そんな感じ。イタチかなんかおったわ。
麓から10分くらいで一気に城趾駐車場まで行けます。クルマは3台くらいは駐車可、自分以外誰もいませんでした。トイレはありません。お城に興味はありませんが諏訪の歴史が好きで、特に大社大祝の諏訪氏の城とあれば桑原城とセットで!と訪れてみました。遺構も程よく残っています。金比羅さんもあるので物見岩も普通に素通りしてしまいそうですが、コレッてどう見ても磐座ですよねえ、、。鏡石とかにも思えます。
| 名前 |
上原城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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202509月に訪問しました。茅野市の観光広報に掲載されていないとは、一体どういう事?!と言いたくなるほど、歴史好きにはたまらん城跡でした!✨️現在は基礎石しか残ってはいませんでしたが、しかしこの辺にこういう建物があったんだろうな。と思い馳せられる空堀や切り開かれた平地部分など、軽く一周登るにも良い整備がされていて、知られていないのが勿体ないほどでした。2025年公開映画の「名探偵コナン〜隻眼の残像〜」にて出演している『上原由衣』刑事が、ここの諏訪姫をイメージしている事もあって、邪にも萌える史跡。✨️そして実際に行って一番感動したのが、見渡す鳥居からの素晴らしい眺め!!!!!いわゆるフォトジェニックと言われても良い、写真映え凄い鳥居と神社に圧倒されました。ここから下々を見渡し、異変が無いかと治安してたのかなぁとか、想像が捗ります。マップ上駐車場があると表記されていますが、それらしい広場が無く、重機が何やら掘り返し工事していたので、ご注意下さい。また、服装と靴にも配慮が必要です。少なくともスニーカーかハイカットシューズで来られる事をお勧めします。整備はされていますが崩れやすい地質らしく、また落ち葉で滑りやすい獣道が多々ありました。折角の歴史遺跡なのですから、茅野市からの保護がもっとあってもいいと思った場所でした。(*‘ω‘ *)