歴史感じる台場の跡地、幕末の感動を!
御殿山下台場(砲台)跡の特徴
台場跡は幕末の歴史を感じる場所です。
1853年、ペリー提督の黒船来航の史跡です。
近くには台場保育園があり、訪れやすいです。
品川台場こと「御殿山下砲台跡」は、区立台場小学校の門横(敷地内だそうです)に在ります。もともとは、ペリー来航時から江戸を守るため、幕府の命で建設されたものです。現在は、石垣だけが当時のものだそうです。とくに何もないですが、歴史的に意味ある場所なので散策してみては如何でしょうか!
歴史を感じるよね~
江戸幕府を幕末に追いやったきっかけを作った黒船来航。その時要塞として造られた御臺場の1つで縮小サイズで復元された台場跡で、横に土塁が残る。
浦賀に黒船が来た際、幕府は国防に備え砲台と大砲を整備しました。ここもその一つでした。いまは、砲台の敷地の半分は学校の敷地となっています。ここにある灯台はオブジェですが実際に設置されていました(実物は岐阜県の明治村へ移築されています)。
「御殿山下台場」は、嘉永7年(1854)11月に工事に着手し、元号が変わった安政元年(1854)12月にスピード竣工した。品川洲崎から深川にかけて計画された台場は、桜の名所であった御殿山などを切り崩した土で造成された。計画された台場のうち、御殿山下、一、二、三、五、六番が完成し、四、七番は中断、八番以降は未着工であった。この位置に建設したのは、当時のペリー艦隊の喫水と最新砲の射程、江戸浦の水深を計算した上での合理的な選定だったとのことである。明治以降に周囲が埋め立てられたが、御殿山台場跡の輪郭の形が良く分かる道が現在も残る。跡地に建つ台場小学校の入口には、かつての台場石垣を台座部分に用いた記念碑として、第二台場(御殿山下台場ではない)にあった洋式灯台「品川灯台」を模したものが建っている。「品川灯台」は明治3年(1870)に第二台場西側に、横須賀造船所などを手掛けたレオンス・ヴェルニー設計により建てられ、昭和31年(1956)まで点灯されていた。現在は愛知県犬山市の「明治村」に移築されている。
最寄りに台場保育園があります。
ペリーが日本に来た後、江戸に築かれた台場の1つです!台場小学校の西側の門の横にあります。
写真の地図が置かれているのは、台場跡から離れた場所の大井六丁目にある品川歴史館にある屋外の展示。御殿山下台場の当時の海岸線の様子がわかる。
1853(嘉永6)年、アメリカのペリー提督が4艘の艦船を率いて浦賀沖に来航(いわゆる黒船来航)し日本の幕府に開国を迫る。幕府はこの事柄に脅威に感じ、江戸防衛の為品川宿沖の海上に砲台として台場を埋立し築いた。当初の予定では第1から第11台場まで築く計画であったが、資金不足などの理由から第4、第7の建設途中で中止。それを補う為、品川宿目黒川河口部の砂州に陸続きに築かれたのがこの「御殿山台場」。現在は埋立により、海岸線は当時の様子を止めないが、現在台場小学校の名称とその周囲の道路形状により、台場の五角形のホームベース形状が再現できる。台場小学校校門脇に発掘された台場当時の石垣を使用し碑にし、当時第二台場に建てられた品川灯台のレプリカが設けられている。
| 名前 |
御殿山下台場(砲台)跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[火水木金土日月] 24時間営業 |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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ペリーが怖くてのぉ。