桜舞う龍岡城でのんびり散策。
龍岡城 大手門跡の特徴
五稜郭ふれあいの館からのルートが特長的です。
桜の季節には感動的な景色が広がります。
昔ながらの橋を渡るひとときが心地良いです。
龍岡城五稜郭の大手門跡ですが、特に標柱の類は見当たりませんでした。
五稜郭であいの館方面から龍岡城本丸跡に向かうルートがかつての大手門跡になります。
桜の季節は特に素晴らしい。日本に2つだけの五稜郭で、桜とお堀の景色はとても絵になります。広過ぎないので、脚に自信がない人でも楽しめます。
龍岡城大手門跡は五稜郭ふれあいの館から場内に橋を渡って入った先の所ですかな?
昔ながらの橋をのんびりと渡る、夏の夕暮れ時、気分良いですね(*^ー゜)
龍岡城の大手門。本城からは少し離れた場所にあるが、是非セットで訪問して頂きたい。現在は鳥居が置かれているが、堅固な桝形大手門は当時の遺構を今に伝えている。
20250421 久しぶりで桜の季節に来られました。少し散り際でしたが 「桜吹雪」 を堪能出来ました!「龍岡城大手門跡」という事ですが、水をたたえたお堀に掛かっている木製の橋の内側(城内側)に建っている石で出来た柱のことを云うのでしょうか?良く判りませぬが、大手門とは日本の城郭で 内部の曲輪(お城の内外を土塁・石垣・堀などで区画した区域 だそうです)に通じる大手虎口に設けられた城門の事です。(大手虎口:オオテコグチと読みます ⇒中世以降のお城における出入口のことです。)因みに 虎口(ココウと読むものとは意味が違います)明治時代に入り『廃藩置県』後の『神仏分離』から続く『廃仏毀釈』・『廃城令』等の時代の流れで、どれだけの多くの貴重な遺物が失われていった事でしょう。今となっては、辛うじて残された物は少なくとも大事にしていきたいと思うのでした。未来への遺産なんて考えは全く無い時代でしたでしょうね。
門は現存していません。遺構もわかりません。復元予定も、おそらくありません…(^_^;)
龍岡城五稜郭の周りを一周しようと思い歩いてみましたが道が途中で途切れてしまいました。五稜郭の面影は大手門だったこの付近で一番味わう事が出来ると思います。大手門橋の上で改めて「明治」という時代を考えてみました。明治元年(1868)の「神仏判然令(神仏分離令)」が誘因となった「廃仏毀釈」や明治六年の「廃城令」による全国各地で行われた城郭等の破壊など、江戸以前を否定することが新しい時代を作る為のエネルギーだったのでしようか!!!
| 名前 |
龍岡城 大手門跡 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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龍岡城 大手門跡 は、龍岡城の正面入口にあたる大手門が建っていた場所で、藩主や来客が出入りする城の表玄関として機能していました。大手門は城の威厳を象徴する重要な施設であり、星形の洋式城郭である龍岡城においても、格式ある正規の入口として特別な役割を担っていました。龍岡城は、幕末の1864年(元治元年)に奥殿藩11代藩主 松平乗謨が築城を開始し、1867年(慶応3年)に完成した日本でも珍しい 稜堡式五稜郭 です。西洋の築城技術を取り入れた近代的な防御構造を持ちながら、大手門は日本の城郭建築の様式で造られました。これは、西洋式の防御思想と日本の伝統的な城門建築が融合した、幕末ならではの特徴といえます。また、龍岡城は「城」と呼ばれているものの、藩の格式上は 陣屋格 であったため天守は設けられず、大手門が城の象徴的な建築物として来訪者を迎えていました。星形の稜堡へ続く正規の入口としての大手門は、藩政の中心へと至る重要な導線であり、龍岡城の中でも特に格式の高い施設でした。明治維新後の廃城により、大手門は他の建物とともに取り壊され、現在は跡地のみが残っています。しかし、大手門跡のすぐ前には 佐久市国史跡龍岡城跡ガイダンスセンター(愛称:五稜郭であいの館) が整備されており、龍岡城の歴史や築城の背景を学んでから城跡へ向かうことができます。かつて大手門をくぐって本丸へ向かった人々と同じ位置から城内へ入ることで、幕末の城下に思いを馳せる体験ができるのも魅力です。歴史好きにとって興味深いのは、龍岡城の大手門が 日本最後期に築かれた城郭の正門の一つ であることです。完成からわずか数年後に明治維新を迎えたため、門が本来の役割を果たした期間は極めて短く、城そのものも実戦で使われることはありませんでした。それでも大手門跡に立つと、日本の城郭が近世から近代へ移り変わる激動の時代を静かに見届けた場所であることを実感できます。