小山の階段上のお堂へ。
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| 名前 |
経ガ島 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
2.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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小山の階段をのぼったところにお堂があります。以下、坂口友太郎『白鳥町風土記』(1998年)から引用です。ーーp.64〜65経ガ島阿弥陀堂 松原字経ヶ島1336の1本尊 阿弥陀如来建造物 本堂一棟由緒 『三代物語』、「昔海中にあり、今田疇の中にあり。」高さ10メートルほどの松とうまめ木の少し生えた岩山である。口碑には経巻が漂着したので経が島と名附けたといわれているが、一説には経文石(一石一字経)を埋めたので名が出たという(金谷健次郎氏は、ここで多数の経文石を拾ったそうである)教蓮寺の開祖教念は、この附近に始[ママ]めて寺を建てたといい、又永徳も暫時ここに住んだと伝えられていて、教蓮寺とは深い縁故がある。ここより東北方に、「元屋敷」「かど田」などという地があり、この附近に教蓮寺の前身「松原寺」があったものと思われる。『経ヵ島縁起』(永峰匡氏所蔵)抑、此嶋ノ称アルノ由来タルヤ、往昔、承元年中ノ頃、念仏ノ元祖円光大師、阿波鬼骨寺(折野)ニ御留錫ノ際、或時北海面ヲ望ミ給ヒ、乃チ親ラ三部妙典ノ一部ヲ採リ玉ヒ、以テ□□□□□曰ク、何国ノ地ナリトモ、宜ク有縁ノ地ニ止リ、克ク法田ヲ拓スル基タリ玉ヘト。然ルニ不思議ナルカナ、其経巻此嶋ニ漂着シ其時奇雲嶋ノ附近ニ靉靆[あいたい]ス。人々専ラ奇異ノ思ヲ為シ、信仰只管[ひたすら]□□□名ケ経ヶ島ト云。□□人口ニ噌炙ス。依テ其後チ元禄二年九月、教蓮寺第三世永徳、時人ト謀リ、小堂ヲ設ケ仏像ヲ安置シ開基トナリ、加フルニ祭日ヲ定メ、帰仏利生ノ徳□トシテ代々□□□□、純朴ノ小□□シアレハ朽廃屢ナリシモ、享保十四年、同寺七世順桂之中興ヲ為シ、巳[ママ]来、延享、天明、天保、弘化ノ年ヲ以テ、或ハ新堂ヲ建テ、或ハ修理ヲ加フ。然トモ□□□□々タル□□石ヲ以テ突立タレハ、未タ聞法ニ供スル堂宇ナカリキ。時ニ明治十有六年、該地篤志ノ永峰惣平、田中忠平発起率先郷民一般ト相謀リ、□喜協力シテ□□ヲ□破シ平□地ヲ整へ竹木ヲ集メ、非常尽力ノ極、遂ニ現在ノ堂宇ヲ成就シ、巳[ママ]来時々ノ法筵ヲ開キ、老少ノ聞法ノ一道場トセリ。呼乎[ああ]又実ニ美事ノ至リナリ。現今安置ノ本尊ハ明治二八ノ年、本村田中忠平、播州へ渡海ノ砌、如何ナル因縁ニヤ、同国工楽長三郎ヨリ迎奉リ、自船蛭子丸ニテ奉供シ、帰帆ノ后此経ヶ島ニ安置シ奉リ□年トハナリヌ。此ノ本尊縁由ハ□ニ叙スルガ如シ。(以下略)