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以前はこのあたりに、萩の各所に建てられている規格品のような「寺島忠三郎」の石碑があったようですが、なんらかの事情でなくなってしまったようです。石碑はなくても、このあたりに寺島忠三郎が暮らしていたのは間違いないと思います。寺島忠三郎(てらしま ちゅうざぶらう)。天保14年(1843年)周防国熊毛郡原村の藩士 寺島太次郎(直一)の次男として生まれました。安政5年(1858年)明倫館に入り、さらに松下村塾で吉田松陰に師事しました。安政6年(1859年)安政の大獄により江戸に送られる吉田松陰を故郷の熊毛郡呼坂でひそかに見送りました。元治元年(1864年)7月19日、禁門の変(蛤御門の変)で敗れ、久坂玄瑞とともに自決しました。享年22際。