戦国の歴史に触れるガラシャ像の地。
細川ガラシャの碑の特徴
明智光秀の娘、玉の歴史を感じられます。
ガラシャさんの像が美しく立っています。
碑を見逃さないように注意が必要です。
戦国時代の悲劇の女性として有名な細川ガラシャの石碑。教会内にある。
大聖堂北西の一角にガラシャ終焉の地「越中井」があり、辞世の句碑が建ってる。それとは別に教会敷地内にある石碑。
紀念細川伽羅奢。
明智光秀の娘として生まれた玉。細川忠興に嫁いだが1582年6月2日未明に明智光秀が謀反をおこして織田信長と信忠親子を滅ぼしたと言われてますがその3日後に山崎の合戦で羽柴秀吉と戦ったがその情報は確かではないが秀吉に捕まり処刑されたとか又は農民の槍で命を落としたとかその又は名前を変えて江戸時代まで生きて逃げ延びたとか言われてます。その娘は幽閉となり貧しい暮らしを余儀なくされたとか。屋敷に戻されたがキリシタンの洗礼を受けてガラシャになりました。大阪城の人質を断り家臣に自害を頼み屋敷に火を放ち命を落としたと言われてます。可哀想な女性です。戦国時代〰️江戸時代の8代将軍吉宗が将軍になるまでは家族に連座制がありました、徳川吉宗が8代将軍になってからまともな刑法になったとか。
歴史好きなら一度行ってみてはいかがでしょうか…戦国時代、武将が注目されがちですが、おなごあっての漢を再認識しました。
ガラシャさんの像はありましたけど碑は気づきませんでした・・・。
| 名前 |
細川ガラシャの碑 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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よく見る石碑なんかとちょっと形が違いますね。西洋風なのかな?ホソカワとかメモリアルとかは読めましたけど、多分細川ガラシャさんの事を称えた碑と思います。