ひっそり咲く梅の後継樹。
八英の梅の特徴
江戸時代の紀行家による男鹿の秋風に登場する梅の後継樹です。
ひっそりとした場所にあり、草に覆われた風情があります。
静かな環境で、歴史ある梅を体感できるスポットです。
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江戸時代の紀行家、菅江真澄の「男鹿の秋風」に描かれた梅の後継樹。和名はザロンバイ、八重咲の淡紅色の花を咲かせる。
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| 名前 |
八英の梅 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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やや草に覆われておりひっそりとあります。菅江真澄の道 八英の梅があります。文化元年(1804)八月二十一日岩倉の岡で八英の梅をみて歌を詠むとあります。側面にはたれ植えて 八つの花英春はさぞ秋はもみじの色を見すらんとあります。また看板には岩倉という岡に、八英の梅という年を経た一本の樹がある。毎年三月のころは、野も山も谷もおしなべて、このかぐわしい匂いに包まれ、風にのって広がるという。これと同種の梅が越後の国蒲原郡の児島村にあった(新潟県北蒲原郡京が瀬村児島の海護寺、真澄は天明四年にこの地を訪れたと思われる)。また仙台の伊達政宗が朝鮮に渡って戦い、加藤清正、小西行長におとらない多くの戦巧をたてた。その帰還にさいして故郷への土産に朝鮮の松と梅をとってこられ、松島寺に植えた。そして「あつしまの松の齢もこの寺の末栄なん年はふるとも」とよまれたという。その松のかたわらに八英の梅がいまもなおあった。そのころであったか、後水尾帝がお聞きになって、これに「花香樹」の名を賜ったと伝えている。八英の梅は越後の国と陸奥の国にある二本だけが有名で、他のところにあると聞いたことがなかったが、この岩倉の岡のあたりに、このように年を経た大木があるとは思いがけないことであった。ここが安東友季の時代、脇本城の栄えていたころの従者の人々がいた跡であろうと、人が語った。梅のもとにたってあおぎ見ると、下葉の葉は色づいている。眺めると木が二、三本生いたつ下方に、建御雷命を祀る祠があった。たれ植て八の花英春はさぞ秋はもみぢの色を見すらん。