歴史を感じる神社散策。
栗崎金鑚神社の特徴
天照大御神や素盞嗚尊を御祭神とする神社です。
整備された境内で美しい自然と歴史を感じられます。
武藏國二之宮の分社であり、旧村社格を有しています。
Otimo.
前は鬱蒼としていたと思いますが、平成25年に境内を整備したとか。
ちょっと来るのが遅かったかな(T△T)
(武藏國二之宮 金鑽神社の分社十一社の一社③)御祭神:天照大御神、素戔嗚尊、日本武尊。創建:鎌倉時代以前。資料によると、『風土記稿』によると、当社は真言宗宥勝寺の項に記載され、「金鑚明神社 是を村内の鎮守とす(以下略)」とあり、同寺の東北約200mに鎮座することから、寺の鬼門除けに二宮金鑚神社を勧請したとも想定される。同寺の開山法印良運は建仁二年(1202年)示寂と伝えることから、寺の創建は鎌倉初期と思われる。とあります。当社は、武蔵七党児玉党本宗家5代目にあたる庄太郎家長(しょういえなが)が、奉斎したことに始まるとされる。本庄氏の祖とされる児玉党本宗家4代目の庄家広が、児玉党勢力拡大により、ここ本庄の地に初めて城を構えたのは栗崎であり(武蔵国栗崎館初代館主)、その嫡嗣、家長が栗崎館2代館主となります。当地は児玉党本宗家庄氏の本貫地であり、宥勝寺はその菩提寺であり、宥勝寺には一ノ谷合戦で戦死した庄小太郎頼家の墓(庄家長の嫡嗣)(県指定旧跡)があります。また、栗崎館跡と思われる遺跡が当社の東約500mにあるそうです。武蔵二之宮金鑚神社の分社である金鑚神社は、「中世には武蔵七党の児玉党の氏神として信仰され、九郷用水・女堀川の水神様【水もとの神】とされた。九郷流と称する地域はには十一社の金鑚神社が祀られている。その流域は、神川町二ノ宮から本庄市栗崎まで続いている」と言われています。ここから北東に600m位のところに、九郷用水の伝説にある「ノメリアガリノ薬師」様がある東福寺があります。マリーゴールドの丘公園の丘の南東側斜面にある、栗崎・金鑚神社です。境内裏手を歩いていたら、マリーゴールドの丘公園に抜けられるようでした。ここは浅見山丘陵の東端に位置していて、その裏山には、県選定重要遺跡の宥勝寺裏埴輪窯跡があります。
鄙びた神社はイイですね。
旧村社格。児玉党荘氏由縁。
名前 |
栗崎金鑚神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
HP | |
評価 |
3.6 |
周辺のオススメ

栗崎金鑽神社(くりざきかなさなじんじゃ)御祭神 天照大御神 素盞嗚尊 日本武尊境内社 天神社 琴平社 八坂社 蚕影社 諏訪社 石神井社 八幡社 戸隠社 雷電社 愛宕社 猿田彦大神 御嶽山三社太神 摩利支天 冨士浅間大神由緒本庄市栗崎は浅見山丘陵の東端に位置し、地内を小山川(身馴川)が貫流しています。栗崎金鑽神社は、社伝によると、児玉党の一族荘太郎家長により奉祭されたと伝えられ、昔から雨乞いの神さまとして知られています。「風土記稿」によると、栗崎金鑽神社は真言宗宥勝寺の項に記載され、「金鑽明神社 是を村内の鎮守とす(以下略)」とあり、宥勝寺の東北約200mに鎮座することから、寺の鬼門除けに二宮金鑽神社を勧請したとも想定されます。宥勝寺の開山法印良運は建仁二年(1202)示寂と伝えることから、寺の創建は鎌倉初期と思われます。宥勝寺は慶長元年(1648)に徳川家光より朱印十石を与えられています。金鑽神社は九郷用水沿いの村々に分布し、農耕・利水の神として祀られ、児玉党とのかかわりが深く、当地は児玉党庄氏の本貫地で、宥勝寺には一ノ谷合戦で戦死した庄小太郎頼家の墓(埼玉県指定旧跡)があります。また、館と思われる遺跡が栗崎金鑽神社の東約500mに在ります。金鑽神社の名称がこの付近でよく聞かれますが、これは児玉党の守護神に当たるためで、党の勢力範囲を示すものでもあります。金鑽は古くは金佐奈とも金砂ともいわれ、砂鉄に関連した名前と考えられます。社伝によると、明和七年(1770)に地内の御料分が川越城主松平大和守の所領となってから、特に崇敬が厚く、社殿改修の折に金品の奉納があったといいます。また、古くから雨乞いが行われ、干ばつ時には代官を派遣して祈雨祭を実施したとされています。境内社の天神社と琴平社は明治四十一年(1908)四月二日に境内神社として村内から移転されたものです。(「境内案内板」参照)