松倉城で見る富山湾の絶景。
松倉城跡の特徴
松倉城跡は越中三大山城の一つで、歴史を感じられる場所です。
本丸近くまで車でアクセスでき、便利な遊歩道が整備されています。
山頂からの富山平野や富山湾の絶景が特に素晴らしいです。
松倉城は越中国有数の規模を持つ山城である。標高430mの城山の山頂部に築かれており、麓からの比高は360mである。現在は城のすぐ下まで林道が通っているため見学しやすい城である。しかし、道は細いため注意が必要である。城域は広く無数の郭があるが整備されているのは本丸、二の丸、三の丸くらいである。それ以外の部分の探索は藪漕ぎとなる。また熊の出現にも注意が必要である。完全な土の城で石垣などはない。目立つ建造物などはないが、本丸には巨石がそびえている。堀切、土塁なども確認できる。特筆すべきは本丸からの眺望で眼下に日本海を一望できる。松倉城は越中国守護代椎名氏の居城であった。越後の上杉氏配下だった椎名氏は後に上杉氏に離反。武田氏と結んだが、上杉氏に攻められ落城し、城を追われた。その後、上杉氏の城となったが織田方の佐々成政に攻められ奪取された。その後、廃城となったようである。
シンボル広場に駐車スペースがあり、そこから山道を10分位で楽に行けます。クマ注意の看板があるので、鈴など持って行ったほうが良さげ。途中切りトウシや空堀などを見ながら進むと、どこから集めたのかと不思議なくらい結構立派な石垣が残っています。ところどころブルーシートで囲ってあったので、台風等の土砂崩れがあった模様。山の頂上部分を削って石垣を組み本丸にした縄張りで、さほど広くはないが本丸跡からの眺望は素晴らしい。小さいながら石垣を回って本丸の入り口に入る構成は、安土城の本丸の入り口に似ていると感じた。
魚津の山の上の城跡です。看板を見つけて軽い気持ちで車で登ってみたら、ものすごい距離で細い曲がり山道を登ることになりました。スリルは満点!!やっとこさ本丸跡に辿り着いたらば、さらに険しい徒歩の登り道。さらに熊、猿注意の看板があって震え上がりました。なので登らず引き返しました。今度は準備万端で登ってみたい!そこまででも、緑が深く鳥の声がして気持ちのいい場所でした。でも、聞いたことのないプエ〜プエ〜という動物らしき声?がして、熊の子供に思えてすぐに逃げました。朴の木、タラの木、山紫陽花、植物もたくさん。道に落ちた石もたくさん。スリルもたくさん。富山に戦国時代の歴史があったなんて驚き!!
堀切♬切岸♬段郭♬の規模が大きい石積門♪前も広い削平地縄張図に説明板、ジオラマまである支城も廻れば一日中楽しめる カモ
行くのはちょっと大変だけど静かで良いですね!野鳥の王国って感じ。あと、魚津からのアクセスはやめたほうが良い、めっちゃ悪路。滑川からはGood!
松倉城は1335年(鎌倉時代最末期)に築城されました。築城主は普門俊清と言われています。その後、桃井氏、斯波氏、畠山氏、椎名氏と城主を変え戦国末期は上杉氏配下の河田氏、織田氏配下の佐々氏、前田氏と移り変わり、戦国の終わりと共に役割を果たし廃城となりました。構造は土塁、連郭式、山城です。越中三大山城の一つに数えられており、規模はそこそこです。周りに支城群が形成されているのも特徴です。しかし何度も落城を経験しており、堅城とは言えません。特に戦国末期には明らかに時代遅れの山城になっています。またかなりの山間部に位置しており、領主が領国を支配するための拠点としても不適当と言えます。遺構は本丸と複数の廓、切り堀、土塁が確認出来ます。しかし枡形門や折れ、竪堀といった防御施設は見当たりませんでした。今後の発掘に期待したいところです。本丸から見下ろす新川平野と富山湾の風景は良かったです。
本丸近くまで車で行くことが出来ます。駐車場から約300m、5分で本丸跡に着きます。本丸跡からの眺めは最高です。だだし、途中の道は、整備が不十分です。w
天気が良かったので富山湾が一望、絶景でした。
この時期、田んぼに水が入っているので富山平野を見ると綺麗です。夕方は、太陽が田んぼの水のおかげで、反射して綺麗です。この時期しか味わえないので、是非見ていただきたい。
名前 |
松倉城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0765-23-1045 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.0 |
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車で城跡すぐ近くまで行けるので楽です。人気がない時はクマ鈴をつけていくといいでしょう。私はここで怪奇現象に遭遇しました。夕方ごろですが、周りに人がいないのに耳元で人の声、言葉がはっきり聞こえました。戦国時代、この城を守っていた防人なのでしょうか?不思議な体験でしたが、怖くはありませんでした。次行くときはお供え物でも持っていこうかと思います。