歴史を感じる四ッ足御門の稲荷像。
尼ヶ崎稲荷神社(四ッ足門町)の特徴
四ッ足御門町の由来が伝わる、由緒ある神社です。
昭和十三年に建立された稲荷像が印象的です。
参拝したくなる雰囲気が漂う神聖な場所です。
稲荷神社を見掛けると、参拝させて頂きたくなります。商売繁盛、精進して参ります。
説明書よりーーー四ッ足御門と中町の由来四ッ足御門町の町名は非常に地位の高い町名でありました。今の中町の所から駿府城に入ったあたりに駿府城の四ツ足御門がありましたのでこの町名となったのです。さらにこれをさかのぼれば、その昔、大化の改新にともない今の長谷町付近に国庁が置かれた頃、この中町付近に国庁の四ッ足御門が在ったからという説があります。その説によれば四つ足の名は千数百年の歴史を飾る由緒ある町名であります。現在、中町という町名になったのは、四ッ足といえば獣類に通じ、大正四年十一月十日「静岡市の中心」ということで中町と改称されたのであります。平成二十三年三月十五日春季大祭尼ヶ崎稲荷神社の由来元、尼崎又右衛門という富商の邸内にありました。家康に召されて駿府に移り、はじめ本通り五丁目に宅地を賜り、そこを十軒町と言ったが、慶長十四年、四ツ足御門町(現中町)に替地を賜ったと言われています。尚、金座町稲荷神社(後藤稲荷神社)このすぐ裏手にあり、慶長の頃、駿府上魚町(現、金座町日銀)で小判を鋳造した後藤庄三郎光次邸があった所でもあります。又、銀座町は現在の東京銀座に移されております。琉球王子宿泊する。琉球王子具志頭(ぐしちゃん)一六一〇年 慶長十五年当尼ヶ崎稲荷神社に宿泊する。急病で宿るとの記録があります。尼ヶ崎又右衛門はその時手厚く看病したといわれるが報われなかった。静岡市清水区清見寺で江戸初期に将軍謁見(えっけん)に向かう途中に駿府で急死した。徳川家康は同寺(清見寺)に葬ったという由縁が記録されています。王子の急死は前年に王国に侵攻した薩摩藩の捕虜として出府する道中でのことだった。徳川家康はこの異国からの使者と駿府城で面会し死に接しては手厚く弔ったという。四百年の追悼記録より 清見寺にて元沖縄県知事 稲嶺恵一氏も同席したとのことです。令和二年九月秋季大祭。
| 名前 |
尼ヶ崎稲荷神社(四ッ足門町) |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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昭和十三年1938年建立の稲荷像。