平等山感念寺で歴史を感じる。
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| 名前 |
愍念寺 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
0748-72-0712 |
| 評価 |
3.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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念寺の前身は文治元年(1185)に大澤図順によって八島より移り平等山極楽寺(天台宗)を再興し、文亀売年(1501)10代目になる大澤房教西(金ケ森道西の次男で当寺の養子となる)が、本願寺実に帰依し、浄土真宗に改宗し一字を建立して平等山感念寺と改称した。その後、元和5年(1619)に寺地を現在地に移して再建したと伝える。本堂の建立年代について明確な資料はないが、向拝の虹染彫刻の様式が江戸時代中期の特徴を示しており、この頃に本堂が完成したと考えられる。本堂は間口五間に対して奥行が長い(7間)妻入りの平面。柱は面取り角柱、屋根は入母屋造の茅葺に見せかけた銅板葺(当初は茅葺)として地方の民家に近い外観を示す。正面には一間の向拝が付く。向拝の柱上は虹梁を架けた大斗・絵様肘不を組み、中備に股を置いて寺院風に造る。内部は外陣と内陣に分かれる。外陣は中央に4本の角柱を立てて柱間に胴差を入れ、天井上の小屋梁を直接受ける。外陣は間仕切りのない一室として畳を敷き詰め、天井は辛縁天井に造られた惣道場を思わせる簡素な構成である。外陣の簡素に対して内陣は派手な意匠になっている。内外陣境は金障子に欄間は金箔の刻を飾り、内陣中央には丸柱の来迎壁に須弥壇を構えこのように内陣が派手になったのは、文化7年(1810)の改造修理によるものである。当時、一般末寺において「三つ並び仏壇」型式から:来迎壁に須弥壇を構えた「後門」式に改造することが普及した。後門式に改造するには来迎壁を設ける関係から内陣の奥行を大きくする必要があった。柱などの痕跡を調べると、内外陣境は半間外陣側に広げ、背面柱筋を半間後退して奥行を約一間(5尺7寸5分)大きくしていることが判明した。これによって当初の内陣は、奥行が一間(約8尺9寸)と浅く、背面側を三間に間仕切り床式の三つ並び仏壇形式であった。余間においても両側面を各一間拡張し、床の高さに上げた。屋根は明治14年(1881)の修理棟札に茅葺から桟瓦葺に変更したと記す。この修理によって小屋組は茅葺に適した屋根勾配の強い首組から勾配をゆるくした和小屋に変わった。平成17年(2007)に行われた解体修理では、当初が茅葺であったことが判明し、桟瓦葺から萱葺屋根に見せかけた銅板言に変更された。本堂は、江戸時代中期の一般末寺の素朴で簡素に構成された外陣がそのまま残る。内陣についても、文化頃に普及した三つ並び仏壇から後門式への改造経過を知ると共に、今後においても部材に残る痕跡から当初の内陣形式の復原が可能である。奥行の長い平面に妻入茅葺(防災上から銅板葺)の惣道場から発展した本堂の経過を知る上で貴重な建物である。