源融公の別荘、平等院参拝。
源融公墓所の特徴
厳粛な気持ちで参拝できる歴史ある場所です。
光源氏のモデルとされる源融公の墓所です。
元は源融の別荘だった平等院に由来があります。
「藤原氏」がいなければと。歴史は大きくスピード感を持って動いたかもと大河ドラマ観ていて思いました。嵯峨天皇の皇子でしたが臣籍降下して「源融・ミナモトのトオル」となり、文徳天皇に仕えイロイロされてもキラリと頑張って74歳まで人生を歩んだ人。源融は何か日記でも残さなかったのか。「応天門の変」を生き抜いたのだからきっとドラマチックなお話とかあったかもと思いました。
京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町にある嵯峨釈迦堂の仁王門から入り、左側にあります。源融「みなもとのとおる」公の墓があります。融(みなもとのとおる)(822-895)は嵯峨天皇の十二男。六条河原院を建造したことから、河原左大臣と呼ばれる。嵯峨釈迦堂・清涼寺は源融の山荘「棲霞観」「せいかかん」があった場所でここに源融の墓があります。源融公の神社⛩️「融神社」もあります。荘園のあった場所で滋賀県大津市いかだちにあります。・アクセス京福電車嵐山線「嵐山」下車徒歩15分・境内自由・駐車場あり、有料。
光源氏のモデルと伝わる源融公、厳粛な気持ちで参拝しました。
源氏物語の光源氏のモデルになったと言われる方です臣籍降下された後、六条にお住いでした宇治の平等院は元は源融の別荘嵯峨源氏。
源氏物語の光源氏のモデルになったと言われる方です臣籍降下された後、六条にお住いでした宇治の平等院は元は源融の別荘嵯峨源氏。
| 名前 |
源融公墓所 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
4.6 |
| 住所 |
〒616-8447 京都府京都市右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町46−46−1 |
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