桜舞う草岡神社で心和む。
草岡神社の特徴
散りゆく桜の中に輝く、枝垂れ桜が見どころです。
大国主命をお祀りする神社として地域に親しまれています。
獅子舞で有名な草岡神社は神事も充実しています。
草岡神社(くさおかじんじゃ)。富山県射水市堀岡古明神。式内社(小)、旧郷社。【祭神】大己貴命 (合祀)事代主命資料によると、この周囲は、古代には富山湾と干潟に挟まれた場所で、湿地であったと考えられているが、一説には、弥生時代の水位はもっと低く、現在よりも広い平野だった、という。神代の昔、越の国有磯が浦の東南数里は、悪蛇毒虫の巣窟だったという。後にこの浜地を明神浜と称し、野鳥禽獣などの棲息する未開の荒涼としたところだった。大己貴命(大国主命)は、当地が耕耘に適し、地味良好であるとして、平国予という宝剣で、繁茂する千樹万障を鍬の御矛をもって伐採し、開墾した、という。この恩恵を受け、この縁故から、当地は草岡の里と呼ばれるようになり、人々は当地に集まり、農業・漁業に精進するようになったという。第12代景行天皇40年秋7月、大和武尊が東夷の邪神姦鬼、蝦夷などを討伐の際、吉備武彦を遣わして越の国を征伐した。その際、「草岡の里は海辺で地勢平坦なるが故に、この地に守護社を建設したきもの」と天皇に奏上し、勅許を賜って創立したのが当社。鎌倉時代から室町時代にかけて、下村加茂神社を中心とする倉垣庄が庄域をひろげ、当地に加茂社(玉依姫命)が勧請された。その後、村の北西部に遷座し、江戸時代中期の享保8年(1723年)には村寄りで浜往来の南側、字浜田に遷座した。ただ、その地が村の東端であり、村人の参拝に不便だったため、江戸時代後期の天保11年(1840年)、現在地に移った。明治6年(1873年)、郷社に列した。大正12年(1923年)、境外末社の恵比須社(事代主命)を合祀した。現在の社殿は、昭和15年(1940年)正月の大雪で倒壊した後に9月3日に再建され神明造。その後、昭和48年(1973年)、平成6年(1994年)に大改修が行われた。御祭神は、大己貴命。玉依姫命・事代主命を合祀している。『神名帳考證』では、社名から日下部氏の祖神であるとして、御祭神は彦坐命としている。なお、式内社「草岡神社」の論社は他に、市内戸破の加茂社、氷見市一勿の高階社と八幡宮がある。とあります。
目の前を通うサイクリングロードに駅名板仕立てな草岡神社駅の看板があります。このマップには独自で載っていたのに心が喪失した愚モノの仕業で消えました。断じて許さんです。
ほとんど散っている桜の中でとても綺麗な枝垂れ桜を見つけました。心癒されました。
大国主命をお祀りしています。延喜式神名帳にもその名が載っています。歴史ある神社です。
こいなどがいるしだれさくら🌸獅子舞があると有名な神社。
サクラが満開でキレイでした。
式内社 越中國射水郡 草岡神社 旧郷社御祭神: 大己貴命 合祀: 事代主命 創建年代は不詳。江戸時代までは加茂明神と称していた。この周囲は、古代には富山湾と干潟に挟まれた湿地であったと考えられているが、弥生時代の水位はもっと低く現在よりも広い平野であったとの説もある。 社伝によれば、神代の昔、ここ草岡ノ地は草木が繁茂し、悪蛇毒虫の巣窟だったので、人々は恐れて 近寄ることはなかった。大己貴神は、この地は耕作に適し地味良好なりと、鍬の御矛を以て開墾したとある。
| 名前 |
草岡神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
主祭神:大己貴命(国作りの神・農業神)。副祭神:玉依姫命(水の神・聖母神)事代主命(海の神・商業神)。平安時代の『延喜式』神名帳に記される。恵比須社(事代主命)は、大正12年に合祀された。今日まで地域の人々の守護神として、禍事災難を取り除き、日々の暮らしに限りない恩恵を与えてくださるかものとして、厚い信仰を集めている。天下泰平・五穀豊穣・子孫繁栄・海上安全・猟業繁栄・商賣繁盛。境内もお詣りしてる時も、エネルギーを感じます。御神木と4.5トンの主石神様のエネルギーなのかな?体感してみるのも楽しみの一つです。