宇和島城式部丸の魅力満載!
宇和島城 式部丸跡の特徴
上り立ち門をくぐると、迫力のある式部丸の石垣が迎えてくれます。
宇和島城の美しい南側中腹に位置する、歴史的な曲輪です。
石垣の中で感じる、当時の雰囲気をしっかり体験できる場所です。
「宇和島市:宇和島城 式部丸跡」2025年2月に訪問しました。大変詳しい看板が設置されていて助かります。井戸もある郭です。【看板より】●建築物・・・井戸式部丸は城内の他の郭(くるわ)と大きく異なっていることが2点あります。まず1点目として櫓(やぐら)や門が1棟も建造されていないこと、そして2点目として、江戸時代の絵図では郭として認識されず、林のように描かれることが多かったということです。●宇和島伊達家家臣「山崎式部」と式部丸絵図の赤丸には”山崎式部”とあります。山崎式部は寛永(かんえい)15年(1638)から万治(まんじ)2年(1659)まで代右衛門(だいえもん)丸に配され、その10年後の寛文(かんぶん)9(1669)年には城普請(ふしん)大奉行に任じられます。式部丸は、このどちらかの時期に造られて、山崎式部にちなんで名付けられたと考えています。しかし、この頃は武家諸法度(ぶけしょはっと)の発令で城の改修への幕府の目が厳しくなっていたため、櫓や門は作らず、絵図にも明確に記さなかったのでないかと推測しています。平成23年に実施した発掘調査では地表約1m下の地点から、伊達家家紋の九曜文(くようもん)をあしらった瓦が出土しています。伊達家による造成を裏付ける考古資料となります。●虎口(こぐち)(入り口)の調査と整備式部丸は、虎口周辺の石垣が危険だったためか、昭和の頃から封鎖されていました。平成18年に調査開始、平成30年に整備が完了しました。調査の結果、17世紀初め頃に2段構造の石垣が築かれ、その後、上段の根石(ねいし)固めとしての下段が岩盤ごと崩落、再築されないまま、上段が危険な状態となったと考えています。整備は、岩盤崩落部分に平成の改修として、最小限の新規石垣を築き、根石の一部しか残っていなかった下段石垣を修築、上段石垣は旧形状通りに積み直しました。
上り立ち門から登っていくと、すぐに行く手に立ちはだかる式部丸の石垣。奥には代右衛門丸の石垣が聳える眺めはスケールが大きくて圧巻!
宇和島城の南側の中腹にある曲輪です。上り立ち門から登っていくとすぐ辿り着くことができます。江戸時代に造成されたようですが、幕府がお城について原状復帰以外の改修を厳しく規制していた時代なので絵図に記載されていないとのこと。秘密裏に作られた曲輪がどのような目的で作られたのか想像するのも楽しいですね。宇和島城は江戸時代以前からの天守が現存している12城の一つで国指定重要文化財に指定されています。訪問時期:2023年9月。
| 名前 |
宇和島城 式部丸跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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☆曲輪の奥に大きな井戸がある「式部丸」創建当時から井戸以外の櫓や門も存在ぜず「井戸」だけのための曲輪、ある意味凄く重要な生活に必要な場所、面白い‼️式部丸の西側の登城路沿いの低い石垣には大小荒削りな石材使われ雰囲気ある場所、また「上り立ち門」から侵入した敵勢に横矢迎撃出来る折れが多用され宇和島城山麓の戦闘的な造りの小さな出丸、搦手口の防御拠点、面白い⚔️