圧巻の姿!
御仏供杉の特徴
樹齢660年の巨木は圧巻で、近くで見るとその迫力を実感できます。
御仏供杉は国指定天然記念物として訪れる価値があるスポットです。
静かな場所で桜が美しく、自然を楽しみながら心がリセットされます。
明るい芝生広場の一角に育っている杉の巨木…たいていの杉が真っ直ぐに育ててられるのに、こちらはまるで楠のようにこんもりとした姿になっています。
おBIGな杉杉の足元には木道が作られており、ぐるっと一周できます。ところはありますが、樹形として美しいかと言われると微妙なところはありますが、とにかくデカい。自然のデカさを味わいましょう。
とっても神秘的で大きな杉。地元の人の信仰を集めると掲示板に書かれていましがたしかに心震わされる威厳をこの場所から感じました。ぐるっと杉の回りを歩くことができるステップが用意されています。近くに寄れるからといって不敬を働いてはいけませんが、近くによってこの特別な空気を感じるのはとっても良いと思います。言葉では語り尽くせませんがとても良い場所ですので、現地で見てみてほしいです。
樹齢約700年スギ、四方八方に伸びる幹、土偶のような彫りの深い表情に圧巻。ひらけた公園のような場所にあり、縄文のオブジェなどあり、そのエネルギーが漂う。
最初に御仏供杉の説明が目につきましたが木が見当たらずキョロキョロしてるとこんな所に入り口がありそこを進むとあまりの大きさにビックリしました。写真に収めたかったが大きすぎて全体的が撮れず動画にしました。それにしても立派な木でした。
ここから7kmほど離れたトコに「五十谷の大スギ」が在りますが、ココの杉に劣るどころか更に独特の雰囲気を醸し出しているのでオススメします。
巨木には、何か秘めた力があるのは本当かも・・と思う立派な木でした。吉野工芸の里の中の広場の奥に堂々たる姿で立っています。
この付近にはよく来るのですが、こんな凄い杉があるなんて驚きました。日本の100名木、天然記念物に指定されるのが分かります。仏様にお供えする「おぼくさま」のように見えることから名がついたそうですが、別名の「倒さ杉」の方がしっくりきました。それにしても凄い枝振りです。立ち寄る価値は十分にあると思いますよ。
2023年4月22日土曜日、杉花粉も治まっただろうと、晴れているけれども風の強い日にここを訪れました。やはり凄い杉の木です。現地の案内板を以下に原文のまま記します。御仏供杉(おぼけすぎ)国指定天延記念物昭和十三年八月八日指定御仏供杉は樹齢六六〇余年、樹高十八・七米、目廻り七・六米の大樹で、その樹形が仏様にお供えする「おぼくさま」のようにみえることから、御仏供杉とよばれるようになりました。別名「倒さ杉」と呼ばれるこの杉は、九州肥後の国に生まれられた大智禅師が幼い時に仏門に入り、正中元年(一三二四)、十一年の中国(当時は元の国)での修行を終えて帰朝され、翌年ここ吉野の山中にて祇陀寺を開山されました。元徳二年(一三三〇)に菊地氏の願いを入れ肥後に向かうにあたり山ん寺から杖にしてこられた杉の小枝をさかさにして、「この木が根づいて繁茂すれば、仏法盛んになるべし」と言われて、村人に別れを告げられ、以後村人は仏の木として大事にお守りし、今の大樹になったと伝えられています。また、この木は梢が四方に根が張ったように見え、どの枝も下に垂れたように下がり、又上を向いています。これが倒さ杉と言う名の起こりであります。白山市。
| 名前 |
御仏供杉 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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御仏供杉は、古い巨木としてより、杉らしく見えない枝ぶりで記憶に残る。名の由来も伝承も、まずその形を見てから読むとよく分かる。吉野に立つ御仏供杉(おぼけすぎ)は、幹が高く一本で伸びる杉というより、根元に近いところから太い枝が四方へ張り出す木である。枝の広がりが大きく、全体の輪郭は一つの幹よりも、枝のかたまりが地面の上に広がっているように見える。国の天然記念物に指定されている理由も、単に大木だからではなく、この大きさと特異な樹形が重なっているためだと受け取りやすい。現地でまず見るべきなのは、年号よりもこの形そのものである。名の由来も、その姿から自然に理解できる。御仏供とは仏前に供える飯を指す語で、この木は枝が低く広く張るため、全体が供物のように見えたことからそう呼ばれてきたとされる。根元まわりは約7.6mとされ、普通の杉に見ない姿がそのまま名になったのである。地元で「おぼけすぎ」と読まれてきたことも、この木が土地の呼び名として生きてきたことを感じさせる。見た目そのものから名が生まれたと分かる点が、この木の面白さをはっきりさせている。この木には、大智禅師にまつわる伝承が重なっている。14世紀前半、この地に祇陀寺を開いたとされる大智禅師が、肥後へ去る際に杉の小枝を逆さに挿し、それが成長して御仏供杉になったと伝わる。いわゆる「さかさ杉」の話である。ただし、逆さに挿した枝がそのまま育ったことまで史実として確かめられているわけではなく、ここは伝承として受け取るべき部分である。それでもこの話がこの木に結びついた理由は、目の前の姿を見ると納得しやすい。枝が幹の下から大きく開くため、御仏供杉は何か由来を語りたくなる形をしている。しかも祇陀寺と大智禅師の関係自体には歴史的な背景があり、寺の記憶がこの木に重ねられてきたことも不自然ではない。伝承だけを読めば昔話だが、木の姿へ戻ると、土地の記憶が一本の木に託された経緯として見えてくる。寺との結びつきが見えてくると、この木はただ山あいに残った巨木ではなくなる。祇陀寺は14世紀前半にこの地と関わる寺として伝わり、その開山とされる僧の名が御仏供杉の由来に重ねられてきた。木そのものが文書を残すわけではないが、地域では一本の杉が寺の歴史を思い出す目印として受け取られてきたのであろう。木と寺が一体の遺構として残っているわけではなくても、土地の記憶のつながりとして見ると、この木の立ち位置はよく分かる。この木をめぐる語りは一つに決まりきっているわけでもない。別の伝え方では、曹洞宗の高僧である明峰素哲の墓標とみる話も残るという。主筋として大きく扱う必要はないが、一本の木に別の意味づけまで重なってきたことは、御仏供杉が単なる目立つ巨樹ではなく、地域の歴史や信仰を受け止める場でもあったことを示している。数字に目を向けると、かえってこの木の性格が見えやすくなる。樹齢は約680年とも約700年ともされ、樹高や幹周にも資料ごとの差があるが、それは測り方の違いも含むためで、単一の数値だけでこの木を語るのは難しい。むしろ大事なのは、数値が多少揺れても印象の核がぶれないことである。幹の下から枝が広がる見え方、一本杉らしさから外れた輪郭、周囲に広く場所を取る姿は、数字より先にこの木の個性を伝えてくる。枝の広がりは、見る向きを変えるたびに木の印象を少しずつ変える。上へ伸びる高さより、横へ張る力の方が先に感じられるため、御仏供杉は一本の樹木でありながら、小さな林のような量感を持って見える。名の由来も伝承も保存の経緯も、結局はこの独特の見え方に戻ってくる。天然記念物という位置づけも、この木では抽象的な制度の話では終わらない。植物として珍しいだけでなく、土地で名前を与えられ、寺の記憶を重ねられ、長く守られてきた経過まで含めて価値が見えてくるからである。自然物でありながら、地域の歴史の中で読み解かれてきた存在である点に、この木の特色がある。現地で見上げる枝ぶりは、自然と文化が別々にあるのではなく、同じ一本の木の上で結びついていることを静かに示している。御仏供杉の価値は、古い木が残っているというだけではない。1938年に天然記念物に指定され、1973年には枝張りや根の広がりに応じて指定地が追加された。守られてきたのは幹だけではなく、低く大きく張り出す枝を含めた全体の姿である。現地で支柱が目に入るのも、その姿を今に伝えるための保存の一部と考えると分かりやすい。枝ぶりそのものが価値の中心だからこそ、木の周囲の空間まで含めて保護の対象になってきたのである。近年まで保護が続いていることも、この木の印象を深める。過去には落雷や虫害への対応があり、近年の地震では支柱倒壊や枝の裂けに修復が行われたとされる。さらに2023年の再調査では、なお成長が続いていることも確認されたという。古木としてただ残ったのではなく、傷みを受けながらも手をかけて守られ、今も生き続けている木なのである。御仏供杉の魅力は、巨木であることより、形そのものが名前を生み、その姿に寺の伝承が重なり、さらに現在まで保護され続けている点にある。現地で見るべきなのは一本の杉ではなく、長い時間の記憶が枝ぶりとして残っている姿である。