埋蔵金伝説の帰雲城跡。
帰雲城趾の特徴
帰雲城は天正大地震で埋没した伝説の城跡です。
標高580mに位置する、歴史的な魅力が詰まった場所です。
埋蔵金伝説が残るこの場所で、歴史の浪漫を感じられます。
村伝説ですが、もともとこの辺りは砂金の産地で、帰雲城にはかなりの金があったそうです、もし掘り当てたら大変な事になると思います、徳川埋蔵金伝説よりよっぽど真実味があるのではと思います、笑。
白川郷、御母衣ダムをツーリングした際に立ち寄りました。帰雲城は話に聞いた事があり、看板が目にとまり急停車。工事現場の入り口の様な雰囲気の所です。 石碑や祠がありました。
財宝と共に一夜にして消えてしまった帰雲城40年くらい前に比べて雑草等が生えててもう少し管理してもいいのかと。
今日久しぶりにこの場所を思い出して書き綴る。日本のポンペイと言われる地下に埋まった帰雲城とその城下町の埋蔵金伝説、戦国時代、内ヶ島氏が治める帰雲城周辺には金山六箇所?と銀山一箇所があり、とても経済的に潤っていた事が容易に想像できる。だが1596年の9月5日、京都・伏見で起きた慶長伏見大地震により、帰雲城の上にあった山が崩れ、その大量の土砂が帰雲城と城下町、そして内ヶ島氏の金銀財宝を飲み込み、今に至る。その山は今でもここからよく見え、当時を想像させる。そしてその財宝はまだ見つかって居ないどころか、正確な帰雲城があったが場所さえ不明である。だが近年白川村周辺の発掘調査で、戦国時代の物と分かった加工された木材や、同年代の馬の骨の一部まで出てきており、もしかしたらそれは城下町にあった物ではないか、と考えられている。帰雲城埋蔵金伝説、いや、埋没金伝説、、、とてもロマンがあり興味をそそられる話だ。是非今後の進展に期待をしたい。
世界的に知られるようになった岐阜の白川郷から1キロほど南下したところにあるのが帰雲城(かえりぐもじょう)跡、と推測される場所。場所が不確定なのは、この城は1586年に発生した天正大地震により、城と城下町全てが消えてしまったからだ。天正大地震は北陸から東海まで日本を南北に貫くように発生した大地震。この地震により、帰雲城の背後にあった帰雲山が山体崩壊を起こし、一瞬にして帰雲城とその城下町を飲み込んだそうだ。この城を治めていた内ヶ島氏一族は仏門に入っていた当主・内ヶ島氏理の弟以外全員が死に絶え、城下町の城民もほぼ全滅。助かったのは、たまたま他の村に行っていた4人の村人だけだったそうだ。山体崩壊した帰雲山は下を流れる荘川を堰き止めて湖ができたというから相当な規模だったのだろう。写真でも小さく山肌が露出した部分が見えるが、これが山体崩壊の跡だ。
現在でもハッキリした場所はわからないらしい。川向うの山がいまだにがけ崩れの崩落跡が生々しく残っている。ここには石碑と説明板があるだけ。豊臣対徳川の歴史を変えるような地震がいかに凄かったか伝える城跡。
帰雲城は飛騨国大野郡の国人であった内ヶ島氏の居城で、天正13年11月29日に発生した天正大地震で、帰雲山の崩壊で埋没した城で、城主であった内ヶ島氏理以下、その時に城と城下町にいた数百名が犠牲になっていると伝わっています。なお帰雲城の場所は比定されておらず、帰雲城趾の碑の下に埋まっているわけでなく、碑と観音像、神社などを建てて犠牲者を祀り公園化した地のようです。なお、当時の飛騨は金の産地で内ヶ島氏は多量の金を所有して他とも伝わり、帰雲城と共に多量の金も埋まっていると埋蔵金伝説がある城でもあります。
■帰雲城址岐阜県は白川村にある石碑。帰雲城の城址推定地。●国道156号線の脇に「帰雲城址」と記した石碑がある。平成11年(1999)6月に石碑手前に謂われが書かれた石版が建立された。帰雲城(かえりくもじょう)は、大野郡白川村三方崩山の下、保木脇にあったお城。内ヶ島氏の居城であったが、安土桃山時代1586年の天正地震(てんしょうじしん)による山崩れで城と城下町全体の全てが埋没し、消えた。天正地震で近江長浜城城主の山内一豊の娘が犠牲になる。小牧・長久手の戦いから1年、秀吉が家康を攻める算段の矢先での此の天災が歴史を変えたのかも知れない。石碑の後ろ右手に菩薩立像がある。石碑の前に「帰り雲神社」の小さい社が見える。
白川郷からの帰りに立ち寄ってみました。近くに数台車をとめれるスペースがあります。帰雲城や帰り雲神社由来の書かれた碑や観音像・庭園があります。私が訪れた時は偶然、建立者の関係者の方がおられ、帰雲城のお話を聞かせていただきました。興味深い話で楽しませていただきました。ありがとうございます。
| 名前 |
帰雲城趾 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.8 |
| 住所 |
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帰雲城(かえりくもじょう、かえりぐもじょう、きうんじょう)は、岐阜県大野郡白川村三方崩山の下、保木脇(ほきわき)にあった日本の城。帰雲城は当地の武将である内ヶ島氏の居城であった。寛正年間(1461年 - 1466年)の1462年頃、内ヶ島為氏により築城されたと伝わる。内ヶ島氏の居城であったが、1586年(天正13年)の天正地震による山崩れ(山体崩壊)で城と城下町が全て埋没しています。その山崩れ(山体崩壊)跡が今でも見られます。かなりな規模です!被害は埋没した家300戸以上、圧死者500人以上。当日、城内では祝宴が行なわれており、難を逃れたのは所用のため不在だったわずか4人と言われています。城主の内ヶ島氏理ら一族は全て死に絶えてしまい、この瞬間をもって内ヶ島氏は滅亡しました。なお、帰雲城の埋没に絡んだ埋蔵金伝説が巷で囁かれていますが、古くから白川地域に伝わっていている話ではなく、実際は昭和40年代後半から流布した話となっています。中部地方を拠点とする、テレビ愛知は帰雲城の埋蔵金伝説を調査追求する番組『消えた戦国の城』シリーズを2019年から放送していて、どれかを見たことがあります。余りに内容が無い番組だったので途中でチャンネル替えましたけど(笑)『消えた戦国の城 白川郷の埋蔵金を追え!』(2019年12月28日)『消えた戦国の城 弐ノ巻~黄金伝説 白川郷の秘めごと~』(2021年5月29日)『消えた戦国の城 地下14メートルの指紋』(2022年5月28日)