曽根にひそむ古代の巨石。
帝踏石の特徴
古代の石群が住宅街にどっしりと存在している場所です。
昭和8年に建てられた帝踏石の石碑が見どころです。
花崗岩の露頭地として不思議な魅力を放っています。
まさになんじゃこりゃーな巨石。得体のしれない巨石はお隣のみやこ町の「胸の観音」もすごいですね小倉南にある帝踏石は、巨大な佇まいと共に、地域の歴史と伝説が重なり合う神秘的な存在です。伝承によれば、神功皇后が巡行の途上、この地に立ち寄り、その足跡を刻むために意図的に足を踏み入れたとされる逸話があります。自然が長い年月を経て浸食や風雨の力によって形成されたこの巨石は、ただ偶然に現れた岩塊ではなく、地域住民の信仰と祭礼の中心として位置付けられ、その堂々たる姿は歴史の重みを感じさせます。
昔は神功皇后が朝鮮出兵の時、此の石の上で休まれたと言われていました。日本書紀には景行天皇が青龍窟の土蜘蛛退治の時、戦勝を占ったと記されています!半世紀前は周囲は水田でした。背部の山は恵比須山と呼ばれていましたが、今は国道と住宅地てす。此の付近は古墳の群があった処です。昔々は此の大石の前は海で旧中津街道沿いが海岸線だつたようです。曽根地域は景行天皇の伝説が沢山残っています!山と谷が多くて、海が迫り平野が少ないので企救と呼ばれていました。海は遠浅で古代は塩田の多い処だったようです。
朽網にある不思議な岩群。近くの貴船神社には船石、荘八幡神社には鈴石があり、どれも摩訶不思議です。なんでも、景行天皇の土蜘蛛討伐にまつわる巨岩伝説が。なぜか子供たちが周辺で遊んでいました。
門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。なお、「危ないので、石の上に登らないように」との注意看板あり。
何故この場所にこのような大きな石があるのかとても不思議な帝踏石(たいとうせき)。北九州市の解説によると門司行橋線から朽網西の住宅地へ入り、庚申谷(こうしんだに)踏切を越えるといきなり大きな岩の塊が見えてくる。一枚岩ではなく四、五個の大きな塊が連なっている。中央の岩の上に石碑が建てられ、表には「帝踏石」裏には昭和8年に碑が建立された事や景行(けいこう)天皇(日本武尊やまとたけるのみことの父)が土蜘蛛討伐の時に石占いをしたことが日本書紀に書かれてあり、それがこの石の名前の由来であるといった内容の事が刻まれている。ちなみに、「土蜘蛛」とはその当時天皇側に刃向かっていた民族の蔑称、本当の蜘蛛ではありません。糸島の神石といい北九州の帝踏石といい本当に不思議なことがあるものです。
調べると景行天皇が...って書いてあったけど現場には説明ね看板もなく住宅街に不自然にゴロゴロ巨石があります^_^祀っている事も無く神社や寺もありません。
かなり歴史のある巨石です。江戸時代に干潟が干拓されるまで、近くのJR日豊本線、旧国道10号、今、県道25号の近くまで海岸線でした。1つの巨石が割れた感じでした。
田舎道の交差点にドンとある古代の石思っていたよりも大きかった昭和8年に建てた「帝踏石」の石碑が有ります上に登れます。
花崗岩の露頭地である。「たいとういわ」と読む。景行天皇(第12代 日本武尊の父)が貫山の土蜘蛛を討つために東方を遥拝し、その戦勝祈願をした場所との伝説がある。目の前の道は中津街道であった。道が変わってはいるけれども。
| 名前 |
帝踏石 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
093-951-4111 |
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| HP |
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kokuraminami/file_0089.html |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
小倉南区曽根の住宅街の真ん中に突然現れます。丸い大きな岩群です。周りの雰囲気とは全然合わないかんじですが何か云われがあるはずなんですが、詳しいことはわかりません。