古代の息吹、永満寺桜馬場遺跡。
永満寺桜馬場遺跡の特徴
鷹取山の西麓に位置する歴史的遺跡です。
古代に栄えたと伝えられる遺構・遺物が出土。
直方駅から東へ5.7kmのアクセスが便利です。
直方市永満寺地区にある永満寺桜馬場遺跡は鷹取山の西麓に位置する遺跡で、発掘調査では古代に栄えたと伝えられる永満寺、鷹取城の城下と思われる遺構・ 遺物が出土したとされる発掘場所。
| 名前 |
永満寺桜馬場遺跡 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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永満寺桜馬場遺跡は、直方駅の東5.7kmほどの福岡県直方市永満寺にある遺跡です。昭和5年(1930年)陶製、青銅製などの経筒が十数個発見されました。経筒の中の経本はすでに朽ちはてていましたが、経筒の数が多かったこと、さらに、年号が彫られた経筒が2個ふくまれていたことから、この発見は学術的にも非常に貴重なものでした。ある経筒は、銅鋳製で、総高24.2cm、口径7.5cmで、永久元年(1113年)の制作とわかっています。経筒というのは、法華経などの経本を入れて土中に埋める筒のことですが、これは、仏教の末法思想と深いかかわりがあるものです。末法思想というのは、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて全国で流行し、人心を支配した仏教思想で、それによれば、仏教を始めた釈迦が死んだあと、千年は正法の時代(釈迦の教があり、それを実行する人がおり、その結果があらわれる時代)が続き、その後の千年は像法の時代(教とそれを実行する人はあるが、そのあかしがあらわれない時代)となり、それに続く一万年は末法の時代(釈迦の教はあるが、それを実行する人はなく、したがって結果もあらわれない時代)になるというのです。つまり、仏教は形だけのものになってしまうというのです。いつ末法の時代が始まるかについては色々な説がありましたが、永承7年(1052年)に末法の時代に入ったという説が一般的でした。末法の時代を迎えた人々は、不安におののきました。救いを弥勒信仰に求めました。弥勒は釈迦に先立ってこの世を去り天上に昇った仏ですが、五十六億七千万年後にもう一度この世に下って人々を救うと伝えられている未来仏です。末法が続けば、やがて経本も失われてしまうだろう。弥勒が再来したとき経本がなくては困るからそれに備えて経本を大切にしまっておこうと考えた人々は、経筒の中に経本を納め、経塚をつくってこれを保存しました。永満寺出土の経筒も、ほぼ末法に入った時につくられたもので、末法思想の証となる貴重な文化財です。色々な宗教の歴史を秘めた永満寺の経筒は、現在、直方を離れ、東京の国立博物館にあって、来館者に、私たちの先祖の心の遍歴を語り続けています。