紫竹門で歴史の美を堪能。
紫竹門の特徴
紫竹門からの風景は絶景で心を奪われます。
高麗門に寄り添う続塀が印象的で歴史を感じます。
現存する国の重要文化財としての魅力が際立っています。
2018/04/08来訪。紫竹門は、本丸の大手と搦手を仕切る脇戸付高麗門で、本壇北側にあった中仕切り門とあわせ、搦手を固める重要な門です。しっかりと解説板がりますので詳しくはそちらを読んでみてください。
ここから見える風景が素晴らしい。
紫竹門は東西の続塀によって本丸大手と搦手を仕切る高麗門であり、現存遺構として国の重要文化財に指定されている。
搦手を守る重要な門だが素敵な名前。
| 名前 |
紫竹門 |
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| ジャンル |
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| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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紫竹門は、松山城本丸の搦手(裏口)を守る高麗門で、国の重要文化財に指定されている現存建造物です。本丸の大手と搦手を仕切る役割を担い、本壇北側にあった中仕切門とともに、北側からの侵入に備える「裏の守り」の中心となっていました。門の両側には紫竹門東塀・西塀が接続し、一体となって搦手の防衛線を形成しています。北側を正面として構えるのも、この方面からの敵を警戒していたためです。門を抜けて左へ進むと搦手の入口である乾門へ続き、本丸北側の防御施設が連続して配置されていることがよくわかります。「紫竹門」という名は、門前の小天守下に紫竹が植えられていたことに由来します。武骨な城門でありながら風雅な名が付けられているのは松山城ならではの趣です。門扉の上下には竪格子が設けられ、門を閉じたまま外の様子をうかがえるよう工夫されています。防御性を高めつつ視界を確保する、実用的な城門建築の知恵が見て取れます。創建年代は明確ではありませんが、現在の紫竹門と東塀・西塀は、天明4年(1784年)の落雷で天守が焼失した後、嘉永年間(1848〜1854年)に再建されたものと考えられています。1935年(昭和10年)には旧国宝に指定され、1950年(昭和25年)の文化財保護法施行により国の重要文化財となりました。江戸時代後期の城門建築を今に伝える貴重な遺構です。華やかな連立式天守に目が向きがちな松山城ですが、紫竹門は搦手を守る防衛の要として欠かせない存在でした。風雅な名前とは対照的に、実戦を想定した工夫が随所に施されており、「戦う城」としての松山城の姿を感じさせてくれます。乾門へ向かう途中で足を止め、門の構造や周囲の石垣、塀とのつながりにも注目すると、築城の名手たちが築き上げた巧みな防御システムをより深く理解できるでしょう。