紙の神様、岡太神社の荘厳さ。
岡太神社・大瀧神社の特徴
全国でも珍しい紙の神様を御祀りする岡太神社は、歴史的な価値があります。
荘厳な空気感を漂わせる神社で、静かな佇まいが神聖な雰囲気を演出しています。
紙漉きの技を伝えた川上御前を祀り、その由緒を知ることができる文化博物館があります。
前々から観たかった日本一(世界一?)複雑な屋根に出会うべく訪れました。 が、改修工事中で屋根は白い囲いの中。 下調べ不足でした。 それでも回廊に設置されたモニターで豪華な神輿を担いでの祭りの様子など見ることができ、それなりの収穫がありました。 屋根は掲示されていた写真を写したものです。 柱や梁に施された彫り物が驚くほど技巧的で素晴らしかったです。 また、いつか見に来たい。
2026年4月11日に訪問。本殿の修復で足場が組まれていました。同年11月、雪が積もる前には作業終える予定だそうです。境内も合わせて素晴らしい空間だったのでまた参拝したいです。奥の院は足腰健康な方のみおすすめします。頂上の大杉は本当に必見です!
(おかもとじんじゃ おおたきじんじゃ)屋根の造形美がとても素晴らしい日本一複雑な屋根と言われているとかなんとか社殿を彩る細かな彫刻も相まってまさに芸術本殿裏をグルっと周れるのも良いですねなぜ名称が二つあるのか当初は神仏が一体だったそうですが明治政府による神仏分離令により分かれ現在は岡太神社は紙祖神、大瀧神社は地主神として並び祀られているとの事でした・1844年 下宮 本殿、拝殿 再興・1984年 国の重要文化財指定・1992年 神門、廻廊、奏楽殿 造営。
社殿は他にはない独特な屋根が特徴で、彫刻も見どころがあり素晴らしい神社でした。2026年12月頃まで檜皮葺の屋根の保全作業が実施されます(予定)。すでに足場がかけられていると思いますので、今どの程度外観が見られるのかは分かりません。私が訪れたのは、ちょうど冬場の雪よけの幕が撤去されたところで、明日から足場をかけるという絶妙なタイミングでした。幸運なことにたまたまお掃除をしておられたガイドの方がきさくに声をかけてくださり、神社の成り立ちから、建築や毎年行われる祭などについてお話を聞くことができました。美しく迫力ある社殿は、永平寺の勅使門を作り上げた宮大工の大久保勘左衛門によるこだわり抜いた設計だそうです。拝殿の彫刻は鯉の滝登り、見上げると竜が翼を広げる姿が刻まれて、美しいだけでなくストーリー性や遊び心が感じられます。本殿の周囲は中国の故事を題材にした彫刻があしらわれていて、立体感を強調する為木目や年輪が生かされています。土台には笏谷石と戸室石が使われています。知るほどに魅力を感じる神社ですが、社殿や祭礼の維持にはやはりご苦労があるようです。檜皮葺の屋根の耐用年数は二十数年とのこと。これからも大切に守り継いでいただきたいなと思い、気持ちだけですが寄付をしました。屋根の葺き替えが終わった頃、ぜひまた訪れたいです。
和紙の里を訪れたついでに寄ったのですが、素晴らしい神社で感動しました。本殿の佇まいも重厚で荘厳です。境内の木々も神々しく、空気がはりつめていました。参拝者がまばらですが、もっと評価されるべき神社です!御朱印はちょっとくだった、一の鳥居と、岡太神社の間にある石川製紙さんという会社の事務所にあります。是非お立ち寄りください。
とても立派な神殿ですたまたまボランティアの方がいらっしゃって、説明してくださいました五層の屋根が国の重要文化財になっており、彫刻も素晴らしいと言われましたただ雨漏りが始まったので、来年辺りから屋根の修復に入るので、しばらくは全体を見れなくなるそうですその寄付集めのために、和紙に書かれた横山大観の御朱印を頂くことができました立派な神社です。
9月22日の14時頃に行きました😊芸術的な構造で圧感でした✨宮大工は凄いなーとつくづく思いました✨見に行く価値は十分あります✨✨✨それから、中国人観光客のツアーが30人位来てたけど、ロープ張って立入禁止の場所に平気で入ってたし😑
日本で唯一の欅の木皮の四層屋根を配し国の重要文化財の指定を受けて「紙の神様」を祀っている神社。素晴らしかったです。今から1,500年前、岡太川の上流に美しい姫が現れ「この地は清らかな水に恵まれているから、この水で紙漉きをして生計を立てよ」と、村人に紙漉きの技を教えたそうです。この姫を「川上御前」と名付けて岡太神社を建て祀ったことに起源します。神社に向かう途中、紙漉きという手仕事をレガシーとして村が遺ってきたせいか、とても物静かで共存共栄して見える街並みでした。
2025.4岡太神社・大瀧神社 駐車場🅿︎(無料)階段を上がり門をくぐった瞬間…本殿の後ろからサーーと冷たい風が吹いてきました😳 とても不思議な体験でした。2本の大木も重厚な雰囲気を醸し出しています。社殿の彫刻も素晴らしいです👍※JR東日本CMロケ地(吉永小百合さん)
| 名前 |
岡太神社・大瀧神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0778-42-1151 |
| HP |
https://www.jinja-fukui.jp/detail/index.php?ID=20160815_152222 |
| 評価 |
4.4 |
| 住所 |
|
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大瀧神社は加賀の白山、福井の平泉寺に次ぐ修験場の霊場で明治元年まで正一位小白山大瀧六所権現児御前と称えられ、神領70余町、日野川以東の村落48ヶ村を氏子とする国内有数の大社であった。その創始は社伝によると、推古天皇の御代(593)大伴連大瀧の勧請に始まると伝えられ次いで鎮護国家法師で白山を開き越の大徳として知られた泰澄大師が元正天皇の命を受け国家安泰疫病鎮護の為、養老3年(719)当地に来り既に霊山と仰がれていた大峰山(大徳山)に登り17日の参籠、祈願をこめた後、地主神として岡太川の上流に祀られていた紙祖神岡太神社(式内論社)を御前立とし国常立尊、伊弉諾命の二柱の神を主祭神として配し十一面観音を本地佛として、山上山下に社殿堂宇を建て、霊場を開き別当寺として、大徳山大瀧寺を建立社僧を置いて神事を掌らしめる一方護符や写経用紙を確保する為製紙の保護発展に努めるに及んで社運著しく隆興した。特に鎌倉時代には堂塔伽藍は立ち並び48坊を有するまでに至り社僧6・700を擁する一大勢力を有した(国内神名帳参照)。その後興国2年(1341)新田勢と共に足利の軍に抗し兵火に罹り一時衰頽したが室町時代の中葉、国主朝倉氏の帰依篤く、同一族の祈願所となるや再び興隆、宗教上においても軍事、経済上においても名実共に最大の勢力をもつに至った。それにつれて当社の山城である大瀧城は5つの出城も出来難攻不落を誇ったと伝えられる。かくて年中の神事も70余度、殊に3月の八講、9月の仁王講など春秋の大祭礼には上宮(奥ノ院本宮)より下宮(里宮)までいつも神幸がなされ、競馬、流鏑馬、湯の花の神事など行われ、参拝者は遠近を問わず引きも切らない有様であった。然し織田信長一揆征伐の際、滝川一益によって大瀧城は落城したので48坊と言われた社域の堂塔はことごとく焼き尽くされ一時は全く衰退したものの、秀吉徳川代々の保護もあり特に松平氏は大いに社殿を再興した。内でも天保14年(1843)改築された本殿は八棟造に隙き間もなく施された彫刻の精巧さ、又屋根の形態は現在知られている神社社殿のなかでは最も複雑な型をもっており江戸末期の代表的建築である。更に福井藩主秀康以来歴代の奉賽は欠けることなく崇敬の実を示されている。明治元年、社号を大瀧児(おおたきちご)神社と改め、同8年12月郷社に列せられ岡本村の總社氏神となり社号も大瀧神社と改称。同22年には山上奥の院の末社の内天照大神、春日・八幡社を1社(春日神社)に統合合祀し、水分神を摂社岡太神社に次いで明治41年山上(奥の院)の別山鎮座八坂神社(須佐能男命)を境内社に合祀八照宮と改称。昭和3年11月13日本社大瀧神社の社歴を案じて県社に列せられた。昭和59年5月下宮本殿拝殿が重文に指定されたその記念事業と、平成の御大典の記念をかね下宮の本、拝殿屋根の葺替え及び神門、廻廊、奏楽殿の造営を行い平成3年7月完成同4年5月竣工祭を行う。