林の中に宿る、花長上神社の神秘。
花長上神社の特徴
美濃國大野郡の歴史ある神社で、古くから信仰を集めています。
狛犬の右脚に見つける子犬の彫刻が印象的です。
林に囲まれた静かな場所に位置し、落ち着いた雰囲気があります。
創建年月不詳古くは上鼻長大明神と云ひ近くは七社明神と云ふ 延喜式神明帳曰 美濃國大野郡三座の内花長神社 美濃國神名記曰 大野郡三十二社の内正一位花長大神里伝曰上花長下花長の両神社は御夫婦なるが故神祭隔年なりといへり 七社神社とは祭神七柱在て何れも古雅ゑるものなれば唯祭神の数によって後人称号せるものとみRたり 茲に当社の原因を索ぬるに釋日本紀曰尾張風土記中巻曰丹羽郡吾縵郷巻向珠城宮御宇天皇品津別皇子七歳而不語傍同郡下無能言之乃後皇后夢有神告曰吾多具國之神名曰阿麻乃弥加都曰女吾未得祝若為我充祝人皇子能言亦是壱考帝卜人?神社者日置部等祖建岡君と食即遣?神時建岡君到美濃國花鹿山擧賢樹枝造縵誓曰吾縵落花處必有此神縵曰落花此間乃識有神因堅社由社名里後人訛言阿豆良里也(尾張國丹羽郡吾縵村式内阿豆良神社有祭神天甕津日女神と言小説あり)抑当社の形境たるや後には叢々たる賢樹の大樹多く前にはうつうつたる杉の森立せるあり 亦山腹に舜屹立せる大巌あり 之を神樂岩と称すこは是中古迄此の巌傍において神楽を奏せり而して亦た一箇の磐石ありこを神輿岩というこれにて御輿を駐御せしと云ふ 加之東南御大町を隔て祢宜街道あり又中林寺の東に当て中街道あり 是皆往古当社に就ての形迹也實に盛大の迹今猶感古の想を起さしむ尓り 而して鎮座の山を中山という こは往古花鹿山とありし発語の畧なり 故れかかる昭々の明徴ある上は社号の花長確に波那迦と称す可きこと無論のことなるを古来謬に誤を傳て花長を鼻長とし祭神猿田毘古大神と附合せるは太しき誣説という可 而して天甕津日女命の本縁たるや出雲風土記仮字書曰く 秋鹿郡伊農郷家正西一十四里二百歩出雲郡のイヌの里にいます 赤衾伊農意保須美比古佐和気能命後天甕津日女命國巡りしましし時ここにいたりまして詔はく伊農ハャと詔給ひきかれ伊努という神亀三年字を伊農とあらたむとあり(同郡伊努社あり伊努社は古史傳に天甕津日女命也称伊努郷客大神)就中徴效の炳然たる者は木村住人平氏平野代助が家系の日記に此花長神の神験ありしよしを記せり 某家系曰 六孫王?ャ經八代苗裔平野三郎頼茂十四代末孫三郎政勝仕豊臣秀吉公文禄三年癸巳二月卒葬於丸山政勝之男平野孫兵衛政吉(母者高橋氏某女)属稲葉伊豫守之幕下慶長三年憂病而退隠於名禮村也病漸愈而後妄毀於一郷惣社七社明神宮社而奉遷宮於西之洞塔尾而社地境内之迹新構居宅住之也因茲受明神之崇俄失正気言語不通甚能乱也妻子春族驚恐而速毀新宅明神社如先規建立之奉遷於神霊社地境内地続之山林多奉寄付之贖其罪而数月日夜奉祈祷於宥赦之矣也然而後雖正気漸復言語不通竟不語之病不愈而慶長八年癸卯正月朔日卒矣也齢五十一歳葬於丸山噫乎夫れ本社草創之本縁は折に由て品津別皇子言語不通の唾病を癒し横道によって平野氏が言語を啜の古今不易幸福言語に仍て賞責を現し賜しこと是併て祭神天甕津媛命の本縁たる者也夫れ尓り尓る上は祭神七柱たりと?も而も主神たる者は必然天甕津媛命に更に疑を容る可からさるもの也かかる由緒の社格たるを以て明治十二年六月二十日縣命を得て郷社の格に加列して奉崇せり。
吽形の狛犬はよく見ると右脚に子犬が彫られています。
林の中の小さな神社です。
| 名前 |
花長上神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| HP | |
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
|
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花長上神社(はなながかみじんじゃ)。岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲名礼。式内社(小)、旧郷社。主祭神:天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと) 應神天皇 速玉男命天照大御神 大山祇神 高靇神熊野久須美命 豊受大神 家津御子神 天水分神資料によると、創祀年代は不詳。七社明神とも称した、天甕津日女命を祀る古社で、式内社・花長神社に比定されている神社。祭神に関して、一説には猿田彦命とするが、これは、花長が鼻長へ変化した結果で、猿田彦命の風貌が天狗顔との伝承による。七社明神と呼ばれたのは、神殿に七柱の木像があったかららしく、その七柱は、猿田彦命、天鈿女神、衝神、道祖神、山神、庚申神、導神。当社の真南1.4Km(直線で)の位置に花長下神社が存在する。当社祭神が姫神で、花長下神社の祭神は男神。同じ旧谷汲村内にある花長下神社とは密接な関係がある。花長下神社の祭神の赤衾伊農意保須美比古佐和氣能命(あかふすまいぬおおすみひこさわきのみこと)と花長上神社の祭神の天甕津日女命は、『出雲国風土記』に記述がある出雲神話の神であり、花長下神社が男神、花長上神社が女神という(夫婦神の説もある)。また、9月7日の祭礼は、花長下神社と花長上神社が交互に行なっている。花長下神社と花長上神社との距離は約3km(道のり)。とあります。参考として、阿豆良神社(愛知県一宮市)との関係尾張国丹羽郡式内社の阿豆良神社とは密接な関係がある。祭神は同じ天甕津日女命(天甕津媛命)であり、阿豆良神社には以下の社伝がある。垂仁天皇の皇子品津別皇子は、7歳になっても言葉が話せなかったという。皇后の夢の中に天甕津媛命が現れ、「今まで私を誰も祀ってくれない。祠を立て神に祭るなら、皇子は言葉を話せるようになり、天寿を全うするだろう。」ということを伝えたという。垂仁天皇は部下の建岡君に、天甕津媛命を探し出すように命じた。建岡君は美濃国花鹿山(花長上神社は花鹿山の麓にある)に登り、榊の枝で縵(あずら)を作って神に祈り、「此の縵の落ちた所が神を祭る所であろう。」と言うと、縵を遠く投げたという。この縵が落ちた地に創建されたのが阿豆良神社という。とあります。