静かに参拝、鏡島弘法で癒しを。
鏡島弘法 乙津寺の特徴
鏡島弘法は、日本三躰厄除け弘法大師の一つで、由緒ある寺院です。
国指定の重要文化財である十一面千手観音など、見応えのある仏像があります。
毎月21日には弘法様の縁日が開催され、多くの参拝者で賑わいます。
広い敷地、人も少なく大変落ち着いて参拝できました。せこせこした日常を解放できました。毎月21日が催事とのことです。
「鏡島の弘法さま」と、親しまれている、厄除けや縁結び祈願のお寺です。参拝者用駐車場から、歩いて行きましたが、お寺の近くにも車は、停められるようです。御朱印は、社務所のほうが開いていない時間でしたので、お金を入れる箱にお布施をさせていただいて、書き置きを授かってまいりました。
弘法大師の縁の地 令和7年9月に参拝しました広々とした境内です 他の方も投稿しているように沢山の石仏があります 八十八カ所の石仏は四国お遍路を思い出しました御朱印は弘法大師様のをいただきました駐車場もわかりやすくありがたかったです。
近くに仕事できたので散歩がてら寄ってみました。厄除けで知られる鏡島弘法 乙津寺を訪れました。お寺は静かで落ち着いた雰囲気に包まれており、多宝塔と本堂のコントラストがとても美しかったです。このお寺では、四国八十八ヶ所巡りを疑似体験できる「お砂踏み」ができます。各札所の砂が敷き詰められた畳の上を歩くことで、実際に四国を巡っているような気分を味わえましす。また、境内では偶然にもクラフトイベントが開催されており、にぎやかな活気がありました。地元の作家さんたちが作ったアクセサリーや雑貨が並んでいて、お寺の厳かな雰囲気とのギャップが面白かったです。弘法大師空海が色んな場面で登場して、色々な空海の石像がみれます。
岐阜県岐阜市鏡島中に所在する臨済宗妙心寺派の寺院、瑞甲山乙津寺です。通称「鏡島弘法」(かがしまこうぼう)。東寺及び川崎大師と並ぶ「日本三躰厄除け弘法大師」の一つ。奈良時代の天平10年(738)行基菩薩が彫った十一面千手観音像を草庵に安置されたことに始まり、弘仁5年(814)に空海がこの地に赴いて寺を建立したと伝えられます。
東海三十六不動尊霊場の参拝でお伺いしました、不動尊霊場第三十一番札所になります。瑞甲山乙津寺(ずいこうざんおっしんじ)といい臨済宗妙心寺派のお寺で御本尊は十一面千手観世音菩薩になります。天平十年(738年)に高僧の行基菩薩が草庵を築いて、弘仁五年(814年)に弘法大師空海がこの地に赴いて寺を建立したと伝わります。天文九年(1540年)に長良川の洪水被害を受けたが天文十四年(1545年)に鏡島城の城主石河駿河守光清が孤岫宗峻を招いて再興し臨済宗妙心寺派に改宗した。昭和二十年七月第二次世界大戦の岐阜空襲により建物の殆んどが全焼する、御本尊などの仏像や重要な物は近くの長良川に運び出されて難を逃れていてその時の住職は小さな仮建物を造り仏像などを安置した。昭和二十八年(1953年)本堂と拝殿を再建した、昭和三十三年(1958年)には大師堂などの建物が再建された。木造千手観世音菩薩立像(十一面)天平時代・木造毘沙門天立像平安時代・木造韋駄天立像鎌倉時代は国の重要文化財に指定されています。別称で「鏡島弘法」と呼ばれています。東海三十六不動尊霊場の御本尊は境内に建つ不動堂内に祀られています、乙津寺本堂右側の奥にあり不動明王・矜迦羅童子・制叱迦童子・八大童子が安置されています。
歴史ある処の住職と思われる方でないと思います、参拝者に寄り添うところかないと思います、危険な場所があっても放置けがすれば保険屋が対応するから知らないそうですです。活気が無くなる原因なのでしょうか?とてもさみしい限りです。
参拝しご本尊にお不動さんと弘法さまの御朱印3種をいただきました。御朱印の対応は午前のみで午後は書置き御朱印が用意されております。ご本尊の十一面千手観音は美濃西国三十三観音霊場の第十九番となります。印には東海百観音第五十二番ともありました。東海三十六不動尊霊場の第31番札所、美濃新四国八十八ヶ所霊場の第四十四番霊場、となります。日本三躰厄除弘法大師の御朱印をいただきそびれたのでまたお参りします。
綺麗なお寺でした。何人かの参拝者が来て見えました!良かったですね。綺麗になっています。
| 名前 |
鏡島弘法 乙津寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-252-2062 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
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30年ぶりに近くに寄ったため久方ぶりに参拝駐車場は大きく停めやすいです四十四箇所巡りの小規模版があります。縁日は昔はもう少し盛大にだった気がしますが、だいぶ小規模になりましたね。