川手城跡で歴史散歩を!
川手城跡碑の特徴
川手城は室町時代に土岐氏が築城した史跡です。
高校敷地内に残る小さな公園内に位置しています。
散歩の途中に立ち寄るのにぴったりな場所です。
室町時代に、美濃国守護土岐氏の本拠地だった革手城(川手城)は、文和2年(1353年)に土岐頼康により築城されました。その後土岐家の後継者争いが絶えず、ついに明応4年(1495年)船田合戦が起こり、斎藤道三により土岐氏は追放され、革手城も廃城となりました。現在済美高校の校庭の端に、革手城址があったことを示す石碑と案内板があります。
美濃国守護土岐氏の館跡。
石碑と説明板があります。遺構はありません。
ガッカリスポット。滑り台と鉄棒があります。
学校の一画に石碑と案内板が建っています。それだけでも、ありがたいところです。日本国内の歴史感が深まるなかで、土岐氏のクローズアップはすすんでいくと思います。
川手城(かわてじょう)は、現在の岐阜県岐阜市正法寺町にあった、南北朝時代から戦国時代の日本の城である。別名革手城。美濃源氏の一族の土岐氏の第3代守護職、土岐頼康は、信濃国、伊予国平定の功により、美濃国・尾張国・伊勢国の3ヶ国の守護職となる。手狭となった長森城に代わり、1353年(文和2年)、川手城を築城する。以降第11代土岐頼芸までの本拠地となる。旧木曽川(現境川)と荒田川に挟まれた自然の要塞といってよい地に築かれた城郭であった。城郭といっても、広大な敷地に神社・仏閣等を設置し、本殿は御殿風の建物であった。戦う城でなく、住居としての城である。廃城後も土塁等が残っていたが、徳川家康の命により加納城の築城が開始されると、土塁の土は殆どが使われてしまった。
史跡川手城跡(革手城)美濃守護の土岐氏が築城し最も繁栄した時期(美濃、尾張、伊勢国の守護時代)の中心地で、川手の町は賑やかだったそうです。川手は当時の木曽川(現境川)と荒田川に挟まれた立地で、川を天然の堀として城を築いたことがわかります。土岐頼芸の時代には廃城となり織田信長が岐阜の町を繁栄させている頃には川手の町人も岐阜に移っていったとされます。現在城跡は済美高校の敷地になっており校内に石碑があります。当時の土塁の一部も残っていますが、ここが城だった面影は全くありません。
散歩の途中に立ち寄った。高校が近いので休憩も憚れる。
川手城跡は済美高校になっていて、案内の碑しかありませんでした。
名前 |
川手城跡碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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HP | |
評価 |
2.8 |
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城跡は済美高校の敷地となっているそうです。学校横の小さな公園に石碑などがあります。