圧巻の龍と火祭り、手力雄神社へ!
手力雄神社の特徴
岐阜市蔵前に鎮座するてぢからさまを祀る神社です。
毎年4月第2土曜日に行われる手力の火祭りが大迫力です。
明治時代の狛犬が並ぶ境内は静かで歴史を感じる雰囲気です。
🏮由緒・歴史にゃん- 創建は 貞観2年(860年)にゃん。清和天皇の勧請で鎮座したと伝わるにゃん。- 『延喜式神名帳』に載ってる「比奈守神社」に比定される古社で、昔から由緒ある神社にゃん📜- 木曽川の渡し場を守る要地にあって、軍勢が必ず通る場所だったにゃん。坂上田村麻呂も注目したにゃん。- 戦国時代には斎藤氏や織田氏の祈願所になったにゃんけど、関ヶ原の戦いの前哨戦で焼けちゃったにゃん🔥- その後、江戸時代に再建されて、平成20年(2008年)に新しい社殿ができたにゃん✨🌸素晴らしさにゃん- 手力の火祭りにゃん:毎年4月第2土曜日に行われる勇壮なお祭りにゃん。滝花火や山焼きで夜空が輝くにゃん🎆🔥- 地域の総鎮守にゃん:長森地区を中心に十余村の氏神さまとして、農耕・雨乞い・厄除けを守ってるにゃん。- 歴史的価値にゃん:戦火や災害を乗り越えて復興を続けた姿が、地域の信仰心の強さを示してるにゃん。- 立地にゃん:名鉄「手力駅」から歩いて行ける便利な場所にゃん。古代から交通の要衝だった地に鎮座してるにゃん。✨まとめにゃん手力雄神社は、千年以上の歴史を持つ美濃の古社で、勇壮な火祭りで知られる総鎮守にゃん。歴史のロマンと地域の信仰がぎゅっと詰まった、訪れる価値の高い神社にゃん🐾💖
手力雄神社(てぢからおじんじゃ)。岐阜県岐阜市蔵前。式内社(小)比奈守神社(ヒナモリノ)の論社、旧郷社。式内社の美濃国厚見郡・比奈守神社とされている。同じ岐阜市内、茜部本郷の比奈守神社の方がとの説があるが、現在の「比奈守神社」は明治元年「飛騨守神社」が改名したもの。当社は新撰美濃誌には「比奈守神社今手力雄神社といふ」とある。主祭神:天手力雄命資料によると、社伝によると貞観2年(860年)に鎮座したと伝えられる。一説では、比奈は飛騨または夷のことであり、大和朝廷の最前線の守りの場所であったという。古来、都に軍勢が上る時、東海道より東山道(後の中山道)に移るには木曽川渡河点として必ず長森を通ることから美濃側の防御拠点として御鎮座。後に土岐頼遠が長森城を築くも同趣意。延喜式に「鄙守神社」(ひなもり神社)とあり、美濃雑事記に「ひなもり神社、いま手力雄神社という」とある。以来平時は洪水を抑え、干天には慈雨を賜い、良民を慰撫し、長森は花園天皇の代(南北朝)まで皇室領であった。一説ではこの地が木曽川の渡河点として重要であることを坂上田村麻呂が気づき、この地の防御点として築いたとされる。弘治年間には斉藤氏の祈願所になる。中世には長森が戦略上の要所であることから、度々戦火に見舞われた。木曽川渡河点は手力雄神社鎮座地以外に無く、尾張以東の東海道の軍勢が京に上るには、この場所で木曽川を渡るしかなかった。従って信長父子は数次に亘って当所を攻めたが、湿地帯であることから大兵を用いることができず、断念。墨俣で陽動作戦を行う一方、鵜沼、前渡の川並衆を調略し、舟で各務原に渡った。信長公記には「新加納に布陣した。」とある。1952年(昭和27年)10月に岐阜県神社庁より県神社庁長参向指定神社(金幣社)の指定を受ける。とあります。参考として、岐阜県各務原市の那加手力雄神社の祭神の天手力雄神は、戸隠神社の影響が強いといわれている。事実、本殿の軒に龍の彫刻があり、龍に関わる話が伝わっているが、これは戸隠神社の九頭竜社の影響という。当社、岐阜市の手力雄神社は、貞観2年(860年)、朝廷の宮中の祭神を分祀したもので、元々の祭神は伊勢神宮の天手力雄神であるという。手力雄神社は長森13ヶ村の郷社であり、那加手力雄神社は那加13ヶ村の郷社である。とあります。
土岐頼遠供養塔訪問で訪れたのですがJR岐阜駅から高山本線次の長森駅からちょっと歩いて15分平地ですが、結構敷地広く雨の日曜地元の人が多く集まり作業中、東海道と中山道の交わる要地という事でした。
見所が多い、素晴らしい神社です⛩️今回時間があまりない中でしたが、そんなちょっとの時間でも拝見出来る本殿の龍は圧巻です。また、社務所では5つの御朱印を授かることが出来ました。毎月1日と15日限定の御朱印もあるとのことで、改めて参拝したいです。
見所が多い、素晴らしい神社です⛩️今回時間があまりない中でしたが、そんなちょっとの時間でも拝見出来る本殿の龍は圧巻です。また、社務所では5つの御朱印を授かることが出来ました。毎月1日と15日限定の御朱印もあるとのことで、改めて参拝したいです。
4/13火祭り火柱、爆発音等、すごい迫力!小さなお子さんはびっくりして泣いてたりする。遠くから見ると知らない人は火事だと思うことも。出店も多く、すごい人の量。祭りが戻ってきたという感じ。
火祭りで有名な神社です。境内の横の広場で年に一回行われる火祭り。敷地はさほど広くはないので、非常に至近距離で見ることができます。迫力満点ですが、風向きによっては、火の粉を浴びる危険性があるので服装には注意が必要です。あくまで自己責任で見に行って下さい。お祭り当日は、境内の駐車場は使用できません、また周辺に駐車場はありません。最寄り駅からの徒歩になります。爆竹や花火の炸裂音に耳がやられそうでしたが、とても爽快でした、一見の価値ありです。
参道を二の鳥居・三の鳥居と歩いて神社まで向かいました‼️正面鳥居から本殿まで境内の中を一直線に結んでおり、その光景の重厚な雰囲気に驚きました👀‼️👀‼️
今年は天気も良く最高の 初詣日和で たくさんの 参拝者でしたよ。多くの人が 参拝に 見えてました 。 今年は皆が良い年になるように健康でいられるように願いたいです。
| 名前 |
手力雄神社 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
058-245-2520 |
| 営業時間 |
[日月火水木金土] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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周辺のオススメ
岐阜市蔵前に鎮座する手力雄神社(てぢからおじんじゃ)。妻の実家の近くにあり、長い歴史を静かに伝えてくれる、落ち着いた雰囲気の神社です。社伝によると、創建は860年(貞観2年)とのこと。平安時代、第56代 清和天皇(在位:858年 〜 876年)の御代に、宮中で崇敬されていた天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)の御霊を分祀(イメージとしては"分割"じゃなくて"コピー"ですね)して建立されたとされています。天手力雄命は、日本神話で天照大神を天岩戸から引き出した力持ちの神様として知られ、宮中のみならず伊勢神宮でも祀られている格式の高い神様です。「天孫降臨(てんそんこうりん)」の際、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に護衛として同行して地上へ降臨した「五伴緒(いつとものお)」の一柱でもあります("柱"は神様を数える単位)。当時は、僅か9歳で即位した清和天皇のもとで藤原良房が初の皇族以外からの摂政となって藤原氏の摂関政治を固めつつあった時期であり、「天皇中心の秩序」を宗教を通じて編み直すという方針のもと、宮中で崇敬されていた有力な神様を全国各地の拠点に積極的に分祀していました。「この土地は中央の神様が守る場所=天皇が治める聖域である」という強力なメッセージを全国各地に発して、天皇の権威を日常的に意識させて反乱を防いだり、中央による年貢の徴収を確かにしたりといった効果を狙っていたと考えられます。天手力雄命は、「天照大神のボディーガード」のように宮中や伊勢神宮で軍事的な守護の象徴として重んじられてきた神様であり、その大きな神威(力強さ)を借りて当時の美濃国 厚見郡 長森あたりの治安維持やそこにあった皇室領(屯倉や荘園)を守るために、この地へ分祀されたというのが歴史的な背景のようです。尚、天手力雄命は、ここだけでなく全国八十余社に分祀されているらしいです。(神様ってそんなにコピーして大丈夫なの?🤔)当時のこの一帯はまだまだ未開拓で湿地が多く残っていたようですが、開発が徐々に進むにつれて、周辺の村々の守り神として、また人々の心の拠りどころとして、この神社が大きな役割を果たしてきたことがうかがえます。「宮中や伊勢神宮にいた強力なパワーを持つ『天手力雄命』という神様を、正式な手続きを踏んで岐阜の地へ招待し、この地に定住してもらった」、「これからは都と同じ神様のご加護を、この地でも受けられる!」──そんな喜びと安心感が、この地域に広がっていったのかもしれません。(⋯知らんけど😁)ちなみに、現在の地名「蔵前」は、江戸時代以降、神社の前に年貢米を納める蔵があったことに由来すると言われています。何気なく通り過ぎてしまいそうな場所ですが、地名ひとつにも歴史がしっかり刻まれているのが印象的です。境内に立つとすっと落ち着き、長く地域を見守ってきた神社らしい歴史の重さが感じられるような気がします。近くに来た際には、少し足を止めて参拝してみるのもおすすめです。