安国寺恵瓊の史実を探る!
中興開山恵瓊(安国寺恵瓊)の墓の特徴
僧侶であり外交官の安国寺恵瓊の実像を知ることができます。
戦国時代に活躍した安国寺恵瓊の墓がある史跡です。
安土桃山時代の歴史を感じる貴重な場所です。
◯中興開山恵瓊(安国寺恵瓊)の墓戦国時代から安土桃山時代に活躍した僧侶であり外交官。毛利氏、豊臣氏と仕えるが、関ヶ原の合戦では武運拙く、西軍首脳の1人として京都六条河原で斬首となる。◯国宝重要文化財 別格本山不動院の裏手に墓所が有ります。◯銀山城主武田公◯豊臣秀吉公(遺髪)◯広島城主福島正則公など所縁のある方々のお墓と並んでいます。訪れた日は墓所の周りが工事中で、ゆっくりと出来ませんでしたので、再訪したいと思います。(広島)2023.06.19
| 名前 |
中興開山恵瓊(安国寺恵瓊)の墓 |
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| ジャンル |
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| HP |
http://www.cf.city.hiroshima.jp/gionnishi-k/webstation/rekishi/ankokuji%20ekei/ankokuji%20ekei.html |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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(安国寺恵瓊(あんこくじえけい))のドラマでは描れない本当の姿の史実とは?また、どのようなことをして処刑されたのか?安国寺恵瓊は単なる外交僧ではなく、豊臣政権下で大名にまで登り詰めた『戦国大名』としての顔を持っていました。関ヶ原の戦いでは石田三成らと共に『西軍の首謀者』として積極的に画策したため、京都の六條河原で斬首されました。恵瓊の本当の姿と処刑に至るまでの史実は以下の通りです。ドラマでは描かれない本当の姿⦿大名の権力:恵瓊は安芸の国人・武田氏の出身で毛利家の外交僧として活躍しました。外交手腕が高く評価され、豊臣秀吉から伊予六万石を与えられ大名に出世しました。僧侶でありながら、領地を持ち、政治・軍事を動かせる実力者でした。⦿情報網を駆使した黒幕:全国にネットワーク(情報網)を張り巡らせており、政治工作や調略を大得意としていました。裏で糸を引く参謀としての役割が強く、戦国の世を巧みに渡り歩いたしたたかさを持っています。どのように処刑されたのか?⦿毛利家の存続を画策:秀吉の死後、豊臣家と徳川家康が対立する中で毛利輝元を擁して 西軍の総大将に祭り上げました。これは毛利家の領地を守るための賭けでしたが結果とし敗戦につながりました。⦿西軍の中心人物として活躍:恵瓊は西軍のプレーンとして石田三成と深く結び付き 、各地の大名に西軍への参加を呼びかけるなど中心的な役割を果たしました。⦿処刑の理由:関ヶ原の戦いで西軍が敗北すると、恵瓊は戦場から逃亡しましたが、近江国で捕縛されました。徳川家康の陣所に送られたのち、『西軍の首脳・首謀者』として石田三成や小西行長らと共に京都の六条河原で斬首されました。ちなみに現在放送中の大河ドラマ『豊臣兄弟!』にもちょこちょこ『安国寺恵瓊』が出てきます。立川談春さん演じる『安国寺恵瓊』です。最初は毛利側についていて敵対していましたが、、本能寺の変が起こった後、秀吉からの和睦を受け入れて、その後は秀吉側に仕えることになりました。