小野妹子のお墓で歴史を感じる。
小野妹子墓の特徴
小野妹子のお墓は、聖徳太子の命で遣隋使に派遣された歴史的な場所です。
科長神社横の長い階段を昇った先に位置し、自然豊かな景色が広がります。
毎年6月30日には、池坊による墓前祭が行われる伝統ある史跡です。
小野妹子の墓に「ありがとう」と言う気持ちで行きました。日本に隋の文化を持ち込んでくれた方のお墓です。
駐車場はありません、トイレはあります神社の参拝の方は駐車可能の看板は有りました。
科長神社南側の丘陵上にある。妹子の墓と伝わるものは古代小野氏の本拠地である大津市小野にもあるが、この太子町の墓も聖徳太子ゆかりの地だけに妹子に関する伝承が古くからあったのだろう。町には推古天皇陵、用明天皇陵や太子の霊廟がある叡福寺がある。墳墓は妹子の子孫を自称する華道の池坊家によって整備されているが、池坊が小野氏の後裔である史料的な根拠は全くないようだ。
電車の場合近鉄喜志駅が最寄りの駅になります。喜志駅から金剛バスを利用出来ますが乗り継ぎが必要かも駅前の地下駐輪所にレンタサイクルがあるので自転車を借りれば30分位ですが行きは登りなのでもう少しかかるかも駐車場、駐輪所あります。駐輪所近くに喫煙所もありました。このスペースは近くにある神社のものかもしれません。正面の階段を登っていくと中頃にトイレもあります。お墓は小さな山の頂の様なところにあります。お墓を過ぎた所に休憩所あります。とても静かな所です。
竹内街道を奈良に向かい太子町から南大阪グリーンロードに入る。直ぐに科長神社に向かって左折すると狭い道を進むと科長神社とその右手に小野妹子の墓に向かう長い階段が見える。遣隋使として活躍し、推古天皇や聖徳太子に仕えた小野妹子。二上山の麓、磯長の王家の谷を今も見守っているように思えてならない。
厩戸皇子の命を受け、遣隋使として隋に渡り政や文化を倭に持ち帰った小野妹子のお墓とされている。官人であり、皇族ではないので宮内庁の管理ではなく、小野妹子を道祖と祭る華道の家元、池坊によって管理されているようです。参拝用の駐車場は有りませんでしたが、お手洗いが設置されていました。参拝所まで120段ほどの階段を上がらないといけないので車椅子や足腰の弱いお年寄りには参拝が難しいかと思います。
季節によっては青々した美しい景色になるんだろうなという場所でした。大きなお墓。あらためて、凄い人なのですね。
科長神社の横の階段の上、葛城山系の山麓にあります。二子山古墳、推古天皇陵古墳、用命天皇陵古墳も近いです。横に大きな東屋もあり、見張らしを楽しみ休憩もできます。
小高い山の上にひっそりとあります。訪れる人は少なく静かなところですね。車を停めれるところは少ないですね。
名前 |
小野妹子墓 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0721-98-0300 |
住所 |
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HP |
https://www.town.taishi.osaka.jp/kanko/rekishi_shiseki/ononoimoko_haka.html |
評価 |
3.9 |
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丘の上にある大きなお墓です。全体が楕円形で洋風味を感じました。紅葉がきれいでした。