歴史を感じる兼見の墓。
益田兼方·兼見の墓の特徴
南北朝時代に由来し、益田氏11代兼見のお墓がある史跡です。
階段を登ると見える五輪塔が、兼見とその父兼方の墓を示しています。
昭和58年の水害で移転したため、萬福寺境内にはない歴史的な場所です。
南北朝時代益田氏11代兼見の墓、となりの少し小さい方が父兼方の墓、大内弘世の元で三隅氏と抗争、元々萬福寺境内にあるも昭和58年の水害で移転、川沿いに車を停め下から五輪塔見えるも益田東高等学校の方から階段いり探します。↓の説明では14代兼理の墓も有るとか。
| 名前 |
益田兼方·兼見の墓 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0856-31-0623 |
| 営業時間 |
[水木金土日月火] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
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左側の小さい五輪塔が兼方(兼見の父)、右側の大きな五輪塔が兼見のお墓です。益田兼見は、益田氏11代当主です。南北朝時代、足利尊氏や足利直冬などに翻弄され、北朝についたり南朝についたりしましたが、最終的には山口の大内弘世について北朝方になりました。以後、益田氏は大内氏との関係を強めていきます。また、兼見は益田平野の本格的な開発を行い、三宅御土居を築いて益田家の基礎をかためました。一方で、兼見は寺院の創建にも力をそそぎました。応安7年(1374年)中須にあった安福寺を移築して「萬福寺」と改め、自らの菩提寺としました。明徳2年(1391年)没。