上杉景勝屋敷跡で歴史を感じる。
春日山城 上杉景勝屋敷跡の特徴
上杉景勝の屋敷跡で歴史を感じる場です。
天守近くの台地から抜群の眺めを楽しめます。
御成街道コースで訪れるのがオススメです。
春日山城跡上杉景勝屋敷跡。
御館の乱により、上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝の屋敷があったと云われる曲輪です。曲輪の下の本丸に通じる道があり、それを見下ろすような位置にあります。また本丸にもほど近く、謙信の景勝に対する信頼の厚さを伺うことができます。
土塁が少々残っているだけ…あとは、往時に想いを馳せるだけ…
上杉景勝は上杉謙信を家祖とする米沢上杉家2代目で上杉宗家17代目。 上杉謙信の甥にあたり、長兄が早世したので長尾家の世子となりましたが、 永禄7年(1564年)に春日山城に入って謙信の養子となったとのことです。
謙信から義を受け継いだ武将の屋敷跡。
天守近くの台地にあり、眺めが良い場所です。
本丸から離れてなす。
山頂から急な階段をおりる、柿崎屋敷から御成街道のコースでどうぞ(空撮写真に切り替えると分かりやすいです)
名前 |
春日山城 上杉景勝屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
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上杉謙信の養子の一人で甥である上杉景勝の屋敷跡です。上杉景勝は坂戸城(南魚沼市)主・長尾政景と仙洞院(謙信の姉)夫妻の子供として弘治元年(1555)に生まれました。永禄7年(1564)に実父の政景が野尻池(南魚沼市)で溺死して以降、上杉謙信の養子となりました。少年時代に義父の謙信から習字をならいました。元服は永禄9年(1566)頃と言われています。当初の名前は「長尾喜平次顕景」でしたが天正3年(1575)1月に謙信から官途名をもらい「上杉景勝」に改名しました。豊臣秀吉政権の五大老になるなど重要閣僚の役職につきました。謙信の後継者の役目を果たしました。