吉良上野介のお墓で静寂を。
鷲峰山法華寺の特徴
諏訪大社のすぐ隣に位置する法華禪寺、静かな参拝が魅力です。
吉良家ファン必見、吉良上野介のお孫さんのお墓もあります。
歴史的な背景を持つ再建本堂、壮大な過去を想像させます。
2026.05.30諏訪大社にお参りして、駐車場戻る前に、何となく立ち寄ってみた!急な坂がきつかった!吉良さんのお孫さんのお墓がひっそりとあるらしいが奥迄行く元気が無かったので、確認しておりません。
諏訪大社本宮の大駐車に車を止められた方はほとんどここへは来られないと思います。塩羊羹をお買いになる方もお参りする人はいないと思います。
諏訪大社本宮のとなりにありました。住職不在の為御朱印は、できないと看板がありましたが、若い男性が、僕でよければ書きますと言われ、お願いしました。
2025年1月訪問、臨済宗妙心寺派の寺院で武田氏の神宮寺だったが、織田信長が甲州征伐の本陣として使用し、後に忠臣蔵で有名な吉良義周が葬られた歴史を持つ。
鷲峰山法華寺もと天台宗であったが、鎌倉時代寛元年間領主蓮仏入道盛里が中興し、建長寺蘭渓道隆を招いて禅宗に改めた。天正十年織田信長か甲州征伐の時、この寺を本営として滞陣して論功行賞を行ない、多くの武将たちが集まった。信長が明智光秀を愚弄して恨まれ、本能寺の変の原因の一つをつくったのは、ここの寺である。【現地案内板より抜粋】諏訪大社上社本宮近くにある寺院。看板を見て、歴史の舞台の一つである事を知り驚きました。
急坂を登った先のこのお寺には、諏訪七福神の一つ、大黒天も祀られています。お寺の裏手には、吉良上野介の息子(養子)のお墓があります。
朝から読経流れる素晴らしいお寺さん。歴史にもしは、ないものの、口は、災いの元の光秀、短気は損気の信長に思い出を馳せつつ、妻と普賢菩薩像に手をあわせた。御縁いただきありがとう。
諏訪大社上社本宮の東参道門から抜けると左側にあり、朱塗りの重厚な楼門が見えたので、お参りさせていただきました。この寺の裏に、吉良義周の墓があります。
2024年11月13日、午後参拝茅野駅の西、諏訪大社上社本宮の横にあるお寺当日は茅野駅から自転車で行きやしたよ境内はとても静かで本堂をお参りし裏の吉良義央のお墓もお参りしやしたこちらもとても静かで悲運の御曹司に思いを馳せたさあ。
| 名前 |
鷲峰山法華寺 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0266-52-3361 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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大河ドラマ『真田丸』や歴史ファンなら、鳥肌モノの超重要スポット!戦国時代の2つのビッグイベントが同時に動いた、日本史の超大転換点となった場所です。「武田家の滅亡」と「本能寺の変」です。信長が「天下人」として君臨した場所です。1582年(天正10年)、武田氏を滅ぼした織田信長は、この法華寺に本陣(臨時の司令部)を置きました。ここで徳川家康や真田昌幸などの東国の武将たちから「おめでとうございます!」と挨拶を受け、文字通り天下の頂点に立っていました。また、明智光秀の心が折れた場所です。このお寺の会議の席で、信長への不用意な一言から光秀が激しく折檻され、怨みを募らせた(本能寺の変の引き金になった)とされる、歴史的な伝承が残るお寺そのものです。諏訪大社上社のすぐ近くにある、静かで趣のあるお寺です。一見すると落ち着いた雰囲気の綺麗なお寺ですが、実はここ、織田信長が武田氏を滅ぼした際に本陣を置き、明智光秀を激しく折檻したとされる「本能寺の変」の引き金になった伝説の舞台です。ドラマ『真田丸』でも、真田昌幸が徳川家康と「武藤喜兵衛」の名前をめぐってしれっと化かし合いを演じ、その裏で光秀が欄干に頭をぶつけられていた、あの緊迫したシーンの場所そのものです。当時の建物は戦火で焼失してしまっていますが、境内の案内板を読みながら、「まさにこの場所で信長、家康、光秀、昌幸が同じ空気を吸い、歴史が動いていたんだな……」と想像するだけで、地面の底からゾクゾクするような感動を味わえます。諏訪大社を参拝する際は、ぜひセットで立ち寄ることを強くおすすめします!歴史の解像度が爆上がりします。