平泉館跡で奥州藤原氏の歴史探訪。
柳之御所遺跡の特徴
柳之御所遺跡は平安時代末期の奥州藤原氏の政庁跡です。
国指定史跡柳之御所史跡公園として整備されています。
無料の資料館は展示が充実していて非常に勉強になります。
この遺跡は、平安時代末(12世紀)の居館跡で、歴史書『吾妻鏡』に記載される「平泉館」に比定され、奥州藤原氏の政務の場と考えられている。南西側の低地は猫間が淵と呼ばれている。継続的な発掘調査によって、堀・園池・掘立柱建物・便所などの遺構、京都や海外との交流を示す土器や陶磁器などの遺物が多数発見されている。わが国の北方領域に展開した政治・行政上の拠点を示す遺存状態の良好な遺跡として、平泉の文化遺産の中でもとくに重要である。
2011年に「平泉」として、中尊寺や毛越寺などとともに世界遺産に登録された『柳之御所遺跡』です。柳之御所遺跡で目立った遺構といえば、発掘成果により再現された堀や土塁程度で、園池は現在水は入っておらず、建物等も残っていません。物足りなさを感じてしまいそうになりますが、お隣のガイダンスセンターの展示を参考にイマジネーションを発揮することができれば、とても興味深い場所です。岩手県平泉町にある、奥州藤原氏の拠点跡と考えられている大規模な遺跡で、平泉の中心部、北上川に面した台地に位置し、奥州藤原氏の2代目・基衡から4代目・泰衡が政務を執り行った「平泉館」であった可能性が高いとされています。この遺跡は、1988年からの発掘調査によって注目され、周囲を土塁と堀で囲まれた広大な敷地から、多数の建物跡や庭園跡、道路、門跡などが発見されました。特に、中央の広場を囲むように配置された大型の建物群や、池を中心とした庭園の遺構は、当時の平泉が政治・文化の中心地であったことを物語っています。発掘された遺物には、高級な陶磁器や漆器、瓦、木製品などがあり、この場所が単なる居住地ではなく、藤原氏の権力を象徴する施設であったことがうかがえます。
吾妻鏡の一説にでてくる平泉館がこの柳之御所になると思われます。平泉の文化を知る上でも重要な場所です。今は、史跡発掘をし一帯が公園として整備されています。史跡の一角には、馬屋や中心建物群等の配置がしっかり示されています。また、当時の汚物穴(トイレ)があったり、園池や堀跡も見ることができます。この史跡一帯を見渡せる場所にガイダンスセンターが建てられ平泉文化を知る為にもぜひ寄ってみてほしい場所でもあります☺ガイダンスセンター前には道の駅もあります。本当に平泉を最初に訪れるのにいい場所ですね。
柳之御所遺跡は高館(たかだち)の丘稜の麓から北上川沿いに広がる場所で、この一帯は昔奥州藤原氏の拠点で「吾妻鏡」に記されている奥州藤原氏の政庁「平泉館:ひらいずみのたち」居館跡と推定されています。継続的な発掘調査により大型建物や堀・塀・園池・井戸などの遺構、京都や海外との交流があった事を示す土器や陶磁器などの生活遺物が多数発見されています。平成九年(1997年)に国の史跡に指定されています。
道の駅平泉に車を停めて、徒歩5分くらいの場所にあります。特に時間は関係なくいつでも入れる感じでした。お堀の遺構などもあり、時間調整で立ち寄ったわりには面白かったです。
[柳之御所遺跡]平泉町にある平安時代末期の遺跡史跡「吾妻鏡」に記されている、奥州藤原氏の政庁・平泉館跡と推定される。柳之御所は奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館(奥州市)から磐井郡平泉に移ってきて居館をかまえた所であり、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされる。中尊寺の南東に位置し、柳之御所から北西方山上の金色堂を望むように造営された。1189年、源頼朝の28万余の大軍に攻められた際に藤原泰衡が自ら火を放ち炎上した。柳之御所の名前は伽羅御所の名前に対比して後世に名づけられた。「吾妻鏡」には無量光院の北に館を構え平泉館と称したと記しており、柳之御所の名は無いがJR平泉駅の北500メートルのところに柳之御所の字があるので、現在はこの字名をとって柳之御所と呼んでいる。高館の南東、北上川西岸と猫間が淵に挟まれた標高約25メートルに立地し、発掘調査の結果112000平方メートルある一帯からは多くの掘立柱建物跡や巨大な堀、橋、道、園池、屋敷群跡、10トン以上のかわらけ、中国産陶磁器、常滑産や渥美産の陶器、当時の烏帽子、国内初の発見となる磐前村印、将棋の駒などが出土している。これらの出土品は国の重要文化財「岩手県平泉遺跡群出土品」に指定されている。現在は遺跡面積約10ヘクタールのうち約5ヘクタールが柳之御所史跡公園として整備され、池、堀、道路などが復元されている。今後は建物も復元整備される予定である。少し高台にある遺跡。復元が進んでいるようで今後が楽しみ。おすすめ度:★☆☆☆☆2021.10.25
奥州藤原氏3代秀衡によって整備されたと推定される藤原氏の居館跡。世界遺産登録を機に用地の買収も進んだのか、かなり広い区域が史跡公園となっていて、内堀の一部や建物跡などが展示されている。平泉世界遺産ガイダンスセンターも併設されている。「奥の細道」の「秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す」の一節は平泉のどこで着想を得たか知らないが、現在ではこの遺跡がもっともふさわしい気がする。ガイダンスセンターからは金鶏山もよく見える。
大きな池を配置した、政治の中枢を担う館の跡のようです。丁度、梅の花が咲いていましたが、当時も奥州藤原氏など有力者たちがこの館で仕事をし、また、池を見ては寛いでいたのでしょうね。そんな光景を想像しながら見学すると、また一興です。
芝生で整備されていて、気持ちがいいです。奥州藤原氏の政庁の雰囲気が感じられます。平安時代の末(12世紀)に、歴史書の「吾妻鏡」に記されている「平泉館」にあたると推定されています。
| 名前 |
柳之御所遺跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 営業時間 |
[土日月火水木金] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
3.7 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
周辺のオススメ
緑の絨毯のような広場ですが、発掘調査によって大量の遺物、遺構が発見されたことにより、史跡公園として整備されたとのことです。史跡ごとの案内板には詳しく説明されています。又、平泉文化遺産センターで貸出されているVRスコープ(平泉TIME SCOPE)の対象施設です。