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名前 |
御射山大社趾 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.7 |
由緒・景行天皇の御代、蕗原の庄箕輪郷羽広の里に創建される。・神亀元年(724年頃)、神鏡が造られる。・元慶3年(879年)、飯田城主・摂津守左右衛門入道によって再建され、以降代々神楽が奉納される。・元暦2年(1185年)、吉田家から御射山大明神の送号を受ける。・応安元年(1368年)、福與城主・井上三郎滿實らによって大祭が行われる。・享祿元年(1528年)、箕輪左衛門尉によって御射山の御宮が上棚に移される。・天文12年(1543年)、箕輪左衛門尉が武田信玄によって滅ぼされる。旧跡【本宮】御射山平にあったが、現在は木々に覆われて名のみが残る。/【前宮】崩落したが、その後修復され、現在は御射山大明神として祀られている。/【御輿場】神主が神輿を担ぎ出した場所。現在は神子柴村。/【鳥居原】かつて鳥居があった場所。現在は礎石のみが残る。/【三本木】祭礼の際に御輿が休憩した場所。現在は三本の木が残る。/【蔵鹿山】本社の鳥居があった場所。現在は礎石のみが残る。/【神田・神畑】御供米や神馬の料に献ぜられた土地。現在は田畑村と呼ばれる。/【殿村】祭礼中城主が休泊した場所。御射山大明神は伊那郡一の旧跡であり、7月27日は御狩日である。神は神変不思儀之神通力によって、彼地に在して此地を守護している。(以上、西箕輪村の資料を元に作成してみました)