藤塚の歴史を感じて。
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| 名前 |
藤塚古墳 |
|---|---|
| ジャンル |
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| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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❶【参考 御嵩町史 民俗編 1985年】藤塚明治中期まで官有地であったが個人が払下げを受けた、という。この塚に生えている草や木を折ったり、切ったりすると「ひどく祟る(たたる)」といわれている。新しい所有者が「藤塚」と彫り込んだ石碑を建てて供養するようになってからは、その家人に対しては何事もない、という。高熱がでたり頭痛があるとき、その平癒(へいゆ)を願って参拝すると、御利益があると伝わり、明治時代にはかなり参拝者がいたようで、時々地中からお賽銭が掘り出される、とのことである。[塚の主について]主の説として、以下の2つが伝わっている。・加賀の国のある藩主に縁がある武士が諸国修行の途中、この土地まで来たところ発病して亡くなった。・御嵩城がまだ威勢を張っていたころ、京都のある公卿(くげ)が失敗したので、六部となって各地を行脚(あんぎゃ)し、この土地を頼ってきたところ病死した。いづれも旅をしてこの地に来た者であり、その死に同情して手厚く葬られて供養されたという事である。藤という字が苗字にはいっていたので、それにちなんで藤を植えた、との説もあるが偶然にそうであったのかは確証はない。