武田勝頼公の最期を感じる寺。
景徳院(田野寺)の特徴
武田勝頼公とその家族を祀る歴史的な寺院です。
自害の地となった場所で、多くの歴史が息づいています。
釈迦如来を本尊とする趣のある曹洞宗のお寺です。
武田勝頼が最後を迎えた天目山を見たくてやって来た。その険しさと寂しさに驚いた。天目山の戦い、なんて言われるけど兵力も違い戦いなんかにならなかっただろう。どこにも行く宛がなく、おそらく絶望した勝頼の気持ちを感じる。そして、若くして一緒に自害した北条夫人には、本当にむごいことだったなと感じる。
要害山城、熊城を登城した帰路に寄りました。クチコミされる方の詳しい説明が非常にためになりました。甲将殿周辺が勝頼公らが自刃した場所と伝わります。生涯石の公開も、この地を訪れる方々の胸を締め付ける事でしょう。目の前には観光駐車場があり、車を止めて史跡を巡るのも良しです。天目山温泉が人気で平日でも交通量の多い山道なので気を付けて散策しましょう。
甲斐武田氏終焉の地にあって、歴史巡りに外せないお寺さんです。古いながらも案内板の類がしっかり整備されており、少なくとも私が訪問した折は空いていたことも相俟って、ゆっくりと見学できました。寺の向かいに公園駐車場がありますので、ここに駐車してお寺さんや合戦場碑などを見学することになります。
2025.8天正10(1582)年3月11日、田野地区において織田・徳川連合軍との戦いの結果、武田家終焉の地となる。勝頼らの死を弔うため徳川家康の命により建立された寺で、境内には武田勝頼親子が自刃した場所と言われる生害石やお墓があります。火災から免れたという山門が立派です。【宗派】曹洞宗【御本尊】釈迦如来【由緒】天正10年(1582年)武田遺臣の一部は家康に臣従し、勝頼と家臣ら殉死者の菩提を弔うため、田野郷一円を寺領として寄進し、景徳院を創建した。江戸時代には住職不在状態となり衰退し、寛永年間(1624年 - 1644年)に広厳院から住職が招かれ再興されているが、旧武田氏家臣の幕臣の要求により、下総国總寧寺の末寺とされたという。天保年間(1830年 - 1844年)には火災が生じて主要伽藍を焼失し、弘化年間(1844年 - 1848年)や明治時代にも火災が生じている。
甲斐の武田勝頼が最期を迎えた場所ですね。なんとも言えない気持ちになります。周辺の古戦場などと合わせてみてください。
以前より一度訪れたいと思っていた。甲府市内の武田氏居館、裏山の居城、新首都新府城、高遠城址と何度かに分けて巡ってきて、最後に当地へ。武田勝頼とその妻子終焉の地、お墓も辞世の句石碑もある。生害石は意外と小さかった。また少し坂を下ったところに地蔵尊があり、勝頼たちの遺骸が葬られているとの看板があった。家臣小山内氏にも裏切られ当地で自刃した勝頼。この寺を天目山方面に少し登った辺りで裏切りに気付き、戻ってきたという。今は静かな山あいのお寺。静かな場所で眠っている。
大菩薩峠、小金沢山を登り、下山後に立ち寄りました。10分ほどで周れる規模のお寺ですが、此処が武田家終焉の地だったんですね。
武田勝頼公と妻、長男と家臣の寺としてゆうめいです。門をくぐり庭の正面に小さな松の木が植えられています。そこで勝頼が自決したと伝えられています。右側に勝頼と家族のお墓があります。墓の中には経石がたくさん収められております。南に少し下ると右手に道祖神があり、玉石が7~8つ程度ありますが、祭り日に子供たちがその石を下の首洗池にてきれいにして元に戻す儀式が今でも続いています。道祖神を2mほど降りると左手に小さなお墓がありますが、これが実際の勝頼公のお墓です。武田家滅亡した寺として受け継がれてきたお寺を是非参拝ください。武田家16代信玄率いる武田軍は徳川家康に大打撃を与えて進軍、野田城を落とし、長篠城へ入ります。天下に号令する日は、すぐ目の前でした。しかし、病状は悪化、四月十二日、帰国の途で他界七ます。遺言は「三年の年問、わが喪を秘すべし」。夢は武田家17代勝頼に託されました。ところが、天正三年(一五七五)、勝頼は長篠の戦いで織田・徳川の連合軍に大敗。いちじるしく勢力を失っていきました。勝頼は天正十年(一五八ニ)三月、連合軍が南北から侵攻してくると、入城して二ヶ月ほどしかたっていない未完成の新府城を捨て、岩殿城へ向かいます。三月三日、勝沼の大善寺に身を寄せたが、岩殿城の小山田信茂に裏切られたため、武田家10代信満の眠る天目山栖雲寺を目指し逃れますが、織田・徳川の連合軍に阻まれた。勝頼の自決する時間をかせぐために、土屋惣臧が、足跡も崩れ落ちるほどの細い道の岩場で、片手で藤蔓をつかみ片手に刀を振りかざして敵陣を切りつけ、岩場から下の日川に落としていった。そのわずかな時間で勝頼は田野の地景徳院で、北条夫人と長男とともに武田家17代信勝は自決し家臣も自決。ついに新羅三郎義光以来、五百年続いた甲斐源氏の流れをくむ武田家は滅亡しました。しかし、五百余年経った今でも、武田家が歩んだ道は甲州市で「武田の道」として今でも生き続けている。
今は立派な寺ですが、勝頼一行が自害した際には、なんとも寂しいただの山林だったろう。こんなところで自害した武田勝頼の心中とはいかようだったか?また、共に果てた若妻や自害するためにここで元服した息子の気持ちなど想像するだけで泣けてきます。
| 名前 |
景徳院(田野寺) |
|---|---|
| ジャンル |
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| 電話番号 |
0553-48-2225 |
| 営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
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武田勝頼公、北条夫人、武田信勝公、家臣の終焉の地との事で訪問しました。あまり参拝される方はいないのか静かで良かったです。