甲斐武田家終焉の地、幽玄の寺。
景徳院の特徴
武田勝頼公とその家族を祀る歴史的な寺院です。
自害の地となった場所で、多くの歴史が息づいています。
釈迦如来を本尊とする趣のある曹洞宗のお寺です。
甲斐武田氏終焉の地に建つ曹洞宗の寺院です。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後、天正16年に徳川家康の命によって武田勝頼一族の菩提を弔うために建立されました。境内全体が「武田勝頼没跡」として山梨県の史跡に指定されています。武田勝頼公一族の墓: 本堂の西南にある甲将殿の裏手にあり、中央に勝頼(宝篋印塔)、右に北条夫人(五輪塔)、左に嫡男・信勝(五輪塔)の墓碑が静かに並んでいます。生害石と没首碑: 勝頼や北条夫人が自害したとされる「生害石」や、殉難した家臣たちの首を洗ったと伝わる「首洗いの池」、家臣・小宮山友晴の「没首碑(没頭碑)」などの史跡が点留しています。勝頼公衣掛の松: 勝頼が自害する直前、辞世の句を詠むために着物の袖を掛けたと伝えられる松の木(現在は2代目)が残されています。
【2026年4月19日☀️】大自然の中にあるお寺です。日川の水の流れが常に聞こえてきます。1582年の悲劇的な場所ではありますが、1588年に徳川家康さんが勝頼等一族の菩提を弔うために建立した素晴らしい場所でもある、と思いました。山門あたりはまだ桜が残っていて綺麗でした!🌟山門だけが火災を免れ建立当時の面影を残す…と山門近くに説明文あり。良いものを見れました!by 埼玉からの旅人✨
武田家終焉の地とのことです。境内には勝頼公、奥方、嫡男のお墓があります。坂の下の古戦場からここまで登り、最後を迎えたのかと思うとなんとも言えない気持ちになりました。甲府の武田神社の賑やかな感じとは異なり、とても静かで人影も少なく寂しい場所であることが、武田家の栄枯盛衰を感じさせます。武田家が好きなのであれば是非一度は訪れる価値があると思います。武田家に思いを馳せて下さい。
武田勝頼公、北条夫人、武田信勝公、家臣の終焉の地との事で訪問しました。あまり参拝される方はいないのか静かで良かったです。
武田勝頼が最後を迎えた天目山を見たくてやって来た。その険しさと寂しさに驚いた。天目山の戦い、なんて言われるけど兵力も違い戦いなんかにならなかっただろう。どこにも行く宛がなく、おそらく絶望した勝頼の気持ちを感じる。そして、若くして一緒に自害した北条夫人には、本当にむごいことだったなと感じる。
武田勝頼の墓所がある古刹です。急な坂をヒーヒー言いながら登ると、壮麗な山門と本堂が迎えてくれます。境内はひたすら静かで心が洗われます。書き置きですが、御朱印をいただくことができました。
要害山城、熊城を登城した帰路に寄りました。クチコミされる方の詳しい説明が非常にためになりました。甲将殿周辺が勝頼公らが自刃した場所と伝わります。生涯石の公開も、この地を訪れる方々の胸を締め付ける事でしょう。目の前には観光駐車場があり、車を止めて史跡を巡るのも良しです。天目山温泉が人気で平日でも交通量の多い山道なので気を付けて散策しましょう。
要害山城、熊城を登城した帰路に寄りました。クチコミされる方の詳しい説明が非常にためになりました。甲将殿周辺が勝頼公らが自刃した場所と伝わります。生涯石の公開も、この地を訪れる方々の胸を締め付ける事でしょう。目の前には観光駐車場があり、車を止めて史跡を巡るのも良しです。天目山温泉が人気で平日でも交通量の多い山道なので気を付けて散策しましょう。
甲斐武田氏終焉の地にあって、歴史巡りに外せないお寺さんです。古いながらも案内板の類がしっかり整備されており、少なくとも私が訪問した折は空いていたことも相俟って、ゆっくりと見学できました。寺の向かいに公園駐車場がありますので、ここに駐車してお寺さんや合戦場碑などを見学することになります。
| 名前 |
景徳院 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0553-48-2225 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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山梨県甲州市にある景徳院(けいとくいん)は戦国時代に名門・甲斐武田氏が滅亡した場所そのものです。⦿天正10年(1582年)3月11日、織田信長・徳川家康連合軍の侵攻により、武田家最後の当主・武田勝頼が妻や嫡男、最後まで付き従った側近たちと共に自害した天目山の戦いの舞台『田野の古戦場』に建立された寺院です景徳院の場所で起きた天目山の戦い・田野の合戦。⦿この場所は『鳥居畑』(とりいばた)とも呼ばれ、武田氏の歴史が400年の幕を閉じた場所です。⦿経緯:武田勝頼は信長の甲州征伐を受けて本拠地・新府城(韮崎市)に火を放ち、岩殿城(小山田信茂を頼る)を目指しましたが 裏切りに遭い、やむなくこの田野の地へ逃げ延びました。⦿最期:ここで織田・徳川連合軍に囲まれ残った数少ない家臣と共に自害しました。⦿被害状況:勝頼(36歳)、妻の北条夫人(19歳)、嫡男(16歳)をはじめ、重臣たちがこの地で滅亡しました。景徳院にある歴史スポット現在、景徳院の境内には当時の悲劇を伝える史跡が残っています。⦿武田勝頼公・夫人・信勝の生害石:武田勝頼・北条夫人・武田信勝がそれぞれ自害したとされる石が配置されています。⦿没頭地蔵(首無地蔵):勝頼・北条夫人・信勝の遺骸を葬った場所といわれ、3体とも頭部がなかったと伝えられています。⦿姫ヶ淵:門前の日川(にっかわ)には、北条夫人に仕えた侍女たちが敵の追っ手を逃れて身を投げたとされる『姫ヶ淵』があり、17名の侍女を描いたリレーフが置かれています。 ⦿首洗い池:勝頼父子の首を洗ったとされる池(現在は池の湧き水)が総門の近くにあります。戦後、この地を訪れた徳川家康が武田氏の悲運を悼みその菩提を弔うために『田野寺』を建立したのが現在の景徳院の始まりです。