ニシン漁の歴史、福原漁場で体感!
旧余市福原漁場の特徴
余市町浜中町の幕末から続くニシン漁の歴史が学べます。
福原漁場は江戸時代からの貴重な漁業遺跡が揃っています。
魚の収穫名所ヌッチ川近くに位置し、見どころ満載です。
ニシンがめちゃくちゃ捕れてた時の写真とかあって解りやすい。手塚治虫先生の昭和31年の漫画本が展示してあったのには驚いた。あと鉄人28号もあった。
鰊番屋の様子を知れる施設です。主屋、文書庫、倉庫?の様な主に3つの施設を見学出来ます。敷地は広く見応えはあり。駐車場は広くて無料。300円の価値あり。
幸福運巡りがきっかけで、初めて訪れました。ニシン漁の歴史と当日の暮らしぶりを知ることが出来る、貴重な場所です。親方と雇われてる漁師が使う設備が、それぞれ部屋も風呂もお手洗いも格段に違っていて、興味深かったです。ニシン漁や暮らしの道具はもちろんどれも貴重なものばかりですが、親方家族が保管してた楽器やラジオ、マンガ雑誌も貴重品ばかりでした。
余市町浜中町で幕末からニシン漁を行っていた福原家が所有していた建物群が福原漁場です。広い敷地を見ると、各建物の配置や役割を知ることができます。ニシン漁でにぎわった時代を知ることができます。
ドライブで立ち寄りました。桜が沢山咲いてて建物とのコントラストがとても良かったです。建物内部も歴史のあるとても貴重な資料や食器や見応えあります。記念に寄るにはいいと思います。
16:30迄。古い書籍や資料があり、興味深い。雨が降る中、傘を追いかけて貸してくださいました。お心遣いありがとうございます。
GW中、幸福運巡りにて来ました。桜の木がすごく綺麗。中には入ってません。時間があればな〜
冬季間この施設は閉館されている。明治の中頃から、大正にかけて北海道はニシンの最盛期である。積丹半島の東側の余市でも豊漁で賑わったとある。よって裕福な網元が次々と誕生して、四ヶ所も軒を並べたとある。この網元が、出稼ぎ漁師と暮らしていたのが、番屋であり、極めて豪華になると、ニシン御殿とよばれていたのだ。資料では この福原漁場は、資料では余市町浜中町に、幕末から定住していて、ニシン漁を行っていた福原家の網元けが所有していた建物だ。1982年(昭和57年)2月に国の史跡に指定さるている。5年後には追加指定も受けている。想像するに、福原家は最盛期のニシン漁で大きなと富を得ていたことが、外観の建物を拝見だけでもうなずける。前回訪ねて際には、みがきニシンの干場なみがきニシンの製品を保存する石蔵や、漁師との契約書も納めた文書庫、米や味噌の蔵、便所も別格であり、網の倉庫も当時の場所に残されているのも貴重と言われてる。参考までに漁場の経営者は福原家から小黒家、そして川内家と繋がれている。番屋の造りは小平町の旧花田家番屋と、規模こそ小さいがやはり似ている。
鰊漁最盛期の様子が良く分かりました。
名前 |
旧余市福原漁場 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0135-22-5600 |
住所 |
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HP |
https://www.town.yoichi.hokkaido.jp/machi/syoukai/fukuharagyoba.html |
評価 |
4.1 |
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旧余市福原漁場 余市 2024/07/31鰊番屋あちこち見てきたけれど、個人的に福原漁場が一番。 他の場所は「鰊番屋」だけ。 「倉庫」だけと単独で残っているけど、福原漁場は番屋だけでなく、その関連施設が丸ごと残っているので、往時の様子がわかりやすい。 写真の3階建ての蔵も3階まで上がる事ができる。 中は当時の民具とかが展示されている。数ある錦番屋の中で一押し‼