2021年12月26日の参拝体験。
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| 名前 |
山の神 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| 評価 |
4.5 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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2021年12月26日参拝。浜北グリーンアリーナ、新興住宅地である染地台にほど近く、道路から蹴上げの高い階段を登った畑と畑に挟まれた場所に鎮座しています。祠自体は少し破損している部分もありますが、祠の周りには新しい注連縄がぐるりと張り巡らされていて、近隣の方が日常的にご参拝なさっているのかも知れません。由緒書はなく、ぱっと見どのような素性の神社かわかりません。ただし、これもやはり少し傷んでいる賽銭箱にお金を入れて参拝し、祠の奥を見ると「奉齋 大山祇命 神璽」(ただし陰影は見えなかった)と書かれた木札と、宮司の印が押された山祇神社の札がありましたので、恐らく水窪にある山住神社(祭神:大山祇命)から勧請された村の神様なんだと思われます。境内(っていうのかな)には石碑がありますが、これは浜松地域遺産で、明治時代にこのあたりで国策として行われた植林事業についての記録が刻まれています。説明板に書かれた内容を転記しておきます 。浜松地域遺産認定文化財 姥ヶ谷 植林記念碑(立石)番号種別 353 歴史資料 認定年月日 令和3年3月22日姥ヶ谷町内会発行 「姥ヶ谷史」によると、 明治9年都田地区から出火した山火事が三方原の一部を焼いて東に燃え広がり、姥ヶ谷地区、平口不動及びその下の民家数軒と、平口本村にある八幡神社まで全焼しました。 当時皇室の御領林であったので、 国の手で焼け跡を回復する為の事業が行われ、この事業を後世に残す為に、この碑が建てられました。碑文には、時の内務卿(長官)の伊藤博文の命に依り、明治12年2月から明治13年2月に掛けて、 8万余本にわたる植林や5石余の種蒔きがされた ・・・と刻まれています。 明治13年 (1880) に建立されました。遠州山辺の道の会。