本で知る神社の魅力。
| 名前 |
川上神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E5%B7%9D%E4%B8%8A%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
3.3 |
| 住所 |
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本による神社の紹介文を調べてみる。❶【参考 讃岐郷土研究 第7巻 1964年】川上神社(1964年の書によるもので現在ではない)[祭神] 弥都波能売神(みつはのめのかみ・水の神)・創立年代は不詳である。・太古より玉川の川上に鎮座していたので、「川上大明神」と称されていた、とある。・枌所東西2村の氏神である。[沿革]・天平年間(729年~749年)僧の行基が社殿を修築して「巫女(みこ)」をおいて祭祀にあたらした、とある。・讃岐の「藤氏」が崇敬して社僧松熊寺の奉仕の35社の大社として祭祀も盛大に行われたが、細川氏の末期には荒廃して旧記なども失われた、とある。・元和年間(1615~1624年)政所「岡安成」が当社を再建している。・寛永20年(1643年)の夏、大干魃(だいかんばつ)にみまわれた。村民は此の川上神社に祈ったところ霊験があったので、その翌年に安成の孫である政所の「岡四郎右衛門」および「藤左衛門」が社殿を改築している。その棟札が残る、とある。・万治3年(1660)9月、ふたたび「岡四郎右衛門」「藤左衛門」が宝殿を建立した、とある。・寛文2年(1662) から8年(1668)の間にも、全国的に大干ばつに、諸処(しょしょ・あちこちの意味)はその被害で死者もあるほどであったが、この村の民子は川上神社の霊験をこうむって慈雨に恵まれた、とある。ことに案文8年の旱魃(かんばつ)には雨も降ったりして「百万石」という名も残ったほどである、とある。“この「百万石」という名の意味するところが説明がなく良くわからない。私の推論となるが「百万石の価値がある」という意味であろうか。”・翌9年の9月には社殿を改築し、社僧を廃して神主をもって祭祀を司(つかさど)った。・元禄3年9月の棟札に「再建 河上大明神 社殿一宇・・・本願 高尾_金兵衛 同_与衛門 岡_九兵衛 当社 神主 豊島_刑部輔_吉成 総氏子中」と見えている。・明治5年(1872年)に郷社に列す。・明治6年(1873年)2月、西の平地より今の地に移して改築し、それ以来、枌所東西2村の氏神としたという。