承久の乱に纏わる貞重神社。
貞重神社の特徴
承久の乱に由来した神社で歴史的な背景がある場所です。
綾川町枌所に位置し、地域の重要な神社として親しまれています。
神社の名前は柞田貞重に由来し、独特の由緒があります。
綾川町枌所に位置する貞重神社です。森林に囲まれた神社ですね。古い神社ですね。檜ヒノキが聳えて生命力を感じますね。
| 名前 |
貞重神社 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| HP |
https://kagawakenjinjacho.or.jp/shrine/%E8%B2%9E%E9%87%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE/ |
| 評価 |
3.5 |
| 住所 |
|
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本にこの神社がどのように紹介されているかを調べてみる❶【参考 讃岐郷土研究 第7巻 1964年】貞重神社貞重という字名の地名になっているが、承久の乱に「柞田貞重」という者が封を奪われて当地にやってきて居住した、とある。その邸の鎮護神であったのを、彼の人が社殿を造営し、大国主神を奉祭したという。_______________[柞田貞重について調べてみる]❶【参考 大野原町誌 1956年】承久の乱は後鳥羽上皇が北条義時を追悼しようと企てた為に起こったのであるが、この戦に讃岐人は多く北条方に走った模様である、とある。上皇方に味方したのは僅かに5人であった。この5人には勿論家来があったのだが、5人のうち1人に「柞田貞重」の名がある、とある。「柞田貞重」は柞田村を中心に周りの村をも治めていた地方の武将であり、当時の大野原村民と関係があったことは否めない、とある。❷【参考 私たちの郷土 香川縣 1945年】承久の乱において、讃岐の武士は大体、北条に属し、後鳥羽上皇に応じたのは綾歌郡の「羽床兵衛」「藤太夫重基」、綾顕国及び三豊郡の「柞田貞重」にすぎなかった、とある。そして上皇方に応じた「柞田貞重」などいずれも領土を奪われた、とある。こののちに、此の地に住み着いた、と云う事となるのだろう。