厳かなる神前神社で心安らぐ。
神前神社の特徴
厳かで素敵な神社の雰囲気が魅力です。
延喜式内社で歴史的な価値があります。
御祭神には天照大御神が祀られています。
国道477号北、集落内に鎮座。境内、建造物等とても綺麗に維持・管理されています。※駐車場完備です。境内には、社務所、参拝者用トイレ、御神木「クスノキ」、遥拝所、山之神、さざれ石、伊勢神宮外宮古材拝領鳥居、清めの池・今上天皇80歳記念(池修復)、井戸掘削竣工記念碑があります。主祭神 : 天照大御神(あまてらすおおみかみ)《配》 : 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)由緒/延喜式内社。創立年代不詳ながら延喜年間以前の創祀と考えられる。古伝に「延喜五年丑二月吉日」とあるとも伝えられる。当社近辺の地名を、神前(かんざき)と云い、神前ケ下、或いは神前左門とする地名からも、当社が式内神前証とされる。また、「神鳳鈔」という高角の御厨であった。当社の鳥居は、往古より伊勢の神宮外宮の遷宮毎に古材を拝領して建立の旧例である。明和の頃より続くされる。明治23年には外宮の鳥居を、同43年には神宮右御鳥居を、昭和5年には内宮南神明門を拝領している。(※資料引用)と、なっています。
神前神社(かんざきじんじゃ)。三重県四日市市高角町。式内社(小)、旧社格不明。主祭神:天照大御神 (配祀)建速須佐之男命資料によると、延喜式内社。創立年代不詳ながら延喜年間以前の創祀と考えられる。古伝に「延喜五年丑二月吉日」とあるとも伝えられる。当社近辺の地名を、神前と云い、神前ケ下、或は神前左門とする地名からも、当社が式内神前神社の証とされる。また、『神鳳鈔』にいう高角の御厨であった。当社の鳥居は、往古より伊勢の神宮の外宮の遷宮毎に古材を拝領して建立の旧例である。明和の頃より続くとされる。明治二三年には外宮の鳥居を、同四三年には神宮右御鳥居を、昭和五年には内宮南神明門を拝領している。とあります。
神前神社(かんざき じんじゃ)御祭神は天照大御神神荒魂、建速須佐之男命、倉稲魂命(伊奈利神社)、大山祇命(山の神)、大穴牟遅命(事比羅神社)延喜式神名帖伊勢國三重郡六座当社は、延喜式内社で、創立年代不詳ながら延喜年間以前の創起と考えられる。古伝には、延喜5年(905)2月吉日とも伝えられる。「延喜式内社」とは、延喜式50巻中、巻9、巻10の神名帳に記載された官社であり、原則として祈年祭に管繁、国際の季幣にあずかった神社で、全国に約三千社あり、朝明郡には24社、三重郡には6社ある格式の高い神社である。「神鳳鈔」に、高角厨十五町、内宮一石八斗、外宮一石五(各6,9,12月)同神田四斗三升を献すと言われ、高角厨は伊勢神宮にお米を捧げる神田であった。神社近辺の旧地名を神前と言い、あるいは神前左門、神前ヶ下とする地名からも、当社が式内社神前神社であることの証とされる。今も当地を神瀬(かんぜ)と称する。また、当社は牛頭天王と称され、天正の兵乱(1575年頃)において織田信長軍当地に進攻の時、神社仏閣に放火すれども土地の人間に神名を聞き、牛頭天王(建速須佐之男命)と答えるは皆ゆるして火災を免れるとされ、神前神社も放火を免れた。往古は、伊昌寺という別当寺(神仏習合説に基づいて神社に設けられた神宮寺)があったが、現在ではその旧学名のみがのこる。当社の鳥居は、往古より伊勢神宮の外宮の遷宮毎に、古材を拝領して建立の恒例があり、慶長(1600)の頃より続くとされる。明和6年(1769)からの棟札がある。明治40年に合祀された伊奈利神社の跡地は、高角公会所の西約50mの字中之長地内にあり、昭和35年に記念稗が建立されている。同じ明治40年には、山の神社も合祀された。事比羅神社は、神前神社の境内社で明治41年に合祀されている。
厳かでとても素敵な神社でした。
| 名前 |
神前神社 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://jinja-net.jp/jinjacho-mie/jsearch3mie.php?jinjya=63619 |
| 評価 |
4.2 |
| 住所 |
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御祭神 天照大御神、建速佐須之男命詳細不明ですが、式内社に比定されています。神前神社の鳥居は伊勢神宮外宮の遷宮ごとに、古材を拝領して建られています。