俳人・山口誓子の邸宅跡地で感じる文化の香り。
| 名前 |
山口誓子旧居「かの雪嶺」句碑 |
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| ジャンル |
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| HP |
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/haiku/kuhi/detail?id=457446 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
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此処の場所は、俳人の山口誓子の邸宅があった。「かの雪嶺信濃の国の遠さもて」の句碑が建立されている。※説明板が建立されていましたので説明文を引用しご紹介します。【山口誓子の歌碑(天カ須賀)】俳人山口誓子は、昭和21年から2年間、当時の須賀浦海岸の別荘で療養のため過ごした。この期間に多くの人が、俳句の指導を受けた、昭和40年になって、この地で誓子が詠んだ「かの雪嶺信濃の国の遠さもて」の句碑を有志で建てた。富洲原地区社会福祉協議会と、なってます。(追記)1965年(昭和40年)11月に平田佐矩(四日市市長)・九鬼紋十郎(元衆議院議員・参議院議員)など四日市市民の有志によって建立された。山口誓子は1941年(昭和16年)に病気となり療養のために四日市市の富田地区の住民となり、1994年(平成6年)3月26日に92歳で死去した山口誓子は、1946年(昭和21年)に天ヶ須賀の須賀浦海水浴場沿いに移住した。天ヶ須賀地区には須賀浦海水浴場があり、海水浴客が宿泊する旅館や別荘地として開発された観光地で天ヶ須賀で考えた俳句があり、天ヶ須賀は自然に恵まれた環境であった。天ヶ須賀は病気の治療や療養には良い土地だった。(※資料引用)