鐘撞遺跡の隣で、綺麗な時間を。
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| 名前 |
太神社跡(オオノジンジャ) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 営業時間 |
[木金土日月火水] 24時間営業 |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
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ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
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鐘撞(かねつき)遺跡を西進すると民家横にあり、跡地は綺麗に維持・管理されています。説明板がありましたのでご紹介します。太神社は、今から約1,100年以前に記された『延喜式神明帳(えんぎしきしんめいちょう)』に記録されている由緒のある古い社で(やしろ)で、『神八井耳命(かんやいみみのみこと)』(神武天皇の第二子で、金属精錬を業とする太氏(おおのうじ)祖神)を祭神とし、東大鐘村と西大鐘村鎮守の宮であった。また、別当寺(べっとうじ)として天台宗の西徳寺(さいとくじ)があり、西大鐘から東大鐘へかけて七堂伽藍(しちどうがらん)か建っていたと伝えられる。太神社は大正二年(1913)二月、東大鐘の一木蓮神社(いちもくれんじんじゃ)と山神社を合祀し、大正五年二月には、石部神社(いそべじんじゃ)(式内社)に合祀された。太平洋戦争後の昭和二二年(1947)五月一日、東大鐘地区民の総意により石部神社からの分祀を決めたが、元の字大坪(おおつぼ)の地は、すでに農地となっていたため、篤志家から寄付のあった北野山(きたのやま)の現在地に勧請した。下野地区史跡委員会となっています。※太神社は、ここから西進し四日市員弁線沿いのレストラン「らいふ」さんを北進、突き当り右手に鎮座されています。