三重北小学校横でお待ち!
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
藤堂高潔公顕彰碑(従三位伯爵) |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
5.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
三重北小学校正門横に位置。以前は車検の速太郎北、「荒井田山(あらいだやま)」頂上にありましたが、北勢バイパス工事に伴い移設されたものです。碑周り等綺麗に維持・管理されています。説明板がありましたので引用しご紹介します。(原文のまま)藤堂高潔公顕彰碑(とうとうたかきよこうけんしょうひ)この顕彰碑は山之一色の入り口にあった荒井田山(あらいたやま=北勢バイパスのル-ト市道日永八郷線と県道小牧小杉線との中間にあった山)の頂上にあり、明治二十五年(一八九二年)十二月、山之一色(当時は三重郡三重村大字山之一色)の村民により建立されていました。この碑には次のことが刻まれています。(口は風化により判読不明の文字)從三位伯爵藤堂高潔口之碑當山之一色津藩之邑也干時明治四年廃藩置縣之際遂廃焉於乎將口村民口口口口而不遺志主思於永遠也為以建之明治廿五年十二月江戸時代を通じ山之一色村(当時)は、津藩藤堂家の領地でした。藤堂高潔は、初代高虎(たかとら)から数えて十二代目最後の藩主で、明治四年(一八七一年)の廃配置県(はいはいちけん)の際の知藩亊(ちはんじ)でした。藤堂藩が御法度(ごはっと)十七ヶ条の中で土地の永代売(えいだいうり)を禁じ、山林が三十年、畑が二十年、田が十年の年季売(ねんきうり)としたことで、、事情があって先祖伝来の土地を手離す破目になっても、期限がくれば売渡し金額で買い戻すことができました。この制度によって貧しい村人は、先祖伝来の田畑を永久に失う汚名を負わなくてよかったという旧領主への感謝の念により、この石碑を建立したと言われています。山之一色の村人たちは、遠く菰野(こもの)の千種(ちくさ)の山から重い石をカシの木の心棒の台車に乗せ、運搬途中で摩擦熱(まさつねつ)によって心棒が焼けないように水をかけながら運び、二日がかりで山の頂上まで綱で引き上げたそうです。荒井田山にあった石碑は、北勢バイパスの建設にともない、この地に移設されました。平成二十六年三月 山之一色町自治会と、なっています。素晴らしいですね!