伊達家の歴史を感じる散歩道。
資福寺館跡の特徴
独眼竜伊達政宗の父、輝宗と遠藤基信の墓がある。
室町時代の武名を残した伊達政宗の墓も存在する。
鎌倉時代創建の慈雲山資福寺の跡地が広がる静かな史跡。
伊達家宅邸的遺址,位於一般住家旁邊,只能徒步進入參觀。
伊達氏史跡2019年7月13日来訪。山形県公式観光サイトによると、このお寺は、弘安年間(1278~1287年)に、この地を治めていた長井氏が、鎌倉建長寺の僧、紹規を招いて建立したもので、当時この地は置賜の要所で、関東十刹の1つとして東北の文叢の中心をなしていたとの事である。伊達氏はこの地に夏刈城を築き、資福寺はその帰依寺、学問寺として栄えた。伊達氏は、第8代伊達宗遠以降、儀山政宗、氏宗、持宗、成宗、尚宗、植宗の7代にわたり、高畑城を中心に施政が行われてきたとの事で、15代晴宗は、米沢に拠点を移し、17代政宗(独眼竜)の代に岩出山に移るまで、伊達氏は、210年間置賜地方を統治した。周辺は長閑な田畑が広がり、少し歩けば、伊達政宗が少年時代を過ごしたという夏刈館跡が、田んぼの中に遠望できる。きっと、資福寺まで学問を学びに通っていたのだろう。
慈雲山資福寺(臨済宗妙心寺派)は長井時秀入道西規により鎌倉時代に創建された。鎌倉建長寺大休禅師の開山といわれ、東北有数の寺院であったという。後に、長井氏を滅ぼした伊達氏が、帰依寺、学問寺として手厚く保護した。元亀3年(1572)伊達輝宗は、大虫禅師と並んで「天下の二甘露門」と称された名僧虎哉宗乙を招き、嫡男梵天丸の学問の師とした。虎哉宗乙は、後に『独眼竜』の名で呼ばれることとなる政宗にとって終生変わらぬ師であったという。天正19年(1591)伊達氏の移封と共に資福寺も移転している。現在、寺跡として堂跡とともに資福寺門前にあったといわれている大六面幢、そして伊達家の墓所が残っている。
伊達家館跡、九代政宗(儀山公)の墓石があり、200m四方あったと云われる広大な寺跡が偲ばれます。
散歩に良いのでは?
駐車場がないのが惜しいかなまあ散歩がてら歩くにいい場所に止めて歩くのもいいかも静かです周りは夏刈フキの産地でもありフキしかないし歴史好きにはこういうとこいいかな。
きれいに掃除がしてあり、しずかで良い所です。ただ蚊がたくさんいました。
民家の脇にある道を入ってすぐ左側に独眼竜として名の知れた伊達政宗(17代・貞山)の父、輝宗の墓と殉死した遠藤基信の墓があるその墓の左奥に室町時代に武名を残した伊達政宗(9代・儀山)と妻の墓がある(独眼竜政宗は伊達家中興の祖と呼ばれたこの9代の名から付けられた、儀山公は福島県伊達市梁川あたりにもゆかりの場所がある)ここにある墓所4基共に石で囲われており、他の墓にはそういった囲いが何もないので何か謂れがあるのかも知れないそこからさらに奥へ進むと右手にも古い墓石が十数基(誰のものかは何も触れてないので地元の人の墓かも)、さらに進むと左側に看板があり資福寺のあった場所とのことまたそこから先右奥の方向が学問所があったのでは?と言われている夏刈館(城?)があったといわれる場所だそう最期に駐車場は無く、近くの堤防脇に広くなっている場所があったのでそこに停めました。
| 名前 |
資福寺館跡 |
|---|---|
| ジャンル |
/ |
| 電話番号 |
0238-52-1111 |
| 営業時間 |
[金土日月火水木] 24時間営業 |
| HP | |
| 評価 |
4.1 |
| 住所 |
|
周辺のオススメ
特に観光地化されてなく、自然のままに現存されている感じです。(落ち葉の掃除くらい。)ただ、輝宗公の墓前の石囲いに、伊達家の家門が掘られてありました。(家門の堀りは古く、当時物?)それを見た途端、ほ、本物だ~っ!と感じました。まわりの景色を見てると、虎哉和尚の教えのもと、幼い梵天丸が走り回ったんだろうな~と感慨深くなります。