静かな住宅街、武蔵増戸駅。
武蔵増戸駅の特徴
武蔵増戸駅舎は、おしゃれなデザインが印象的です。
駅周辺には商店があるものの、静かな雰囲気が漂っています。
JR五日市線の複線駅で、特徴的な呼び名があります。
武蔵増戸駅はJR五日市線の駅で、あきる野市の自然豊かな静かな住宅街に位置しています。駅はこぢんまりとしていて利用者も多くないため、落ち着いた環境の中でゆったりとした時間が流れています。周辺は緑が多く、ハイキングや自然散策に最適なスポットが近くにあります。駅前には小さな商店や飲食店も点在しており、日常生活に必要なものは揃います。都心からはやや距離がありますが、五日市線を利用すれば武蔵五日市や立川方面へのアクセスが可能で、自然と都市のバランスが取れた地域です。静かで穏やかな暮らしを求める方におすすめの駅です。
むさしますこ 駅むさしますと じゃないよ駅員さん丁寧改札は南側のみ早朝深夜は券売機が休止中改札手前にある券出すやつをつかえばよいトイレありバリアフリー スロープ エレベーター周辺にコンビニなし駐輪場、バイク置き場あり。
駅舎外側がきれいになりましたが、桜の木を伐採してしまったのでさみしいですが樹齢が高かったのかもしれませんレンタル自転車も少しの間だけでしたので移動はタクシーを呼ばないと徒歩になります※この駅は複線になるのでホームは上側下側あります。
むさしますこと読みます。ふつーの駅。
JR五日市線の武蔵増戸駅でムサシマスドではなくムサシマスコと読みます。改札口は一箇所のみです。都内とは思えない雰囲気です。徒歩で10分ほどで日の出町に入ります。単線の為、列車本数は30分に一本程度です。
駅前はそこそこ商店がある程度の静かな駅です、駅舎はおしゃれでした。
武蔵増戸。この駅名は「むさしますこ」と読みます。訪れたのは、2017年の1月13日。シフト勤務で年末年始働いて、やっとの思いで東京に帰郷して訪れた場所でした。目当ては『英雄たちの選択』で磯田道史先生が紹介した伊達政宗の弟生存説の根拠になった大悲願寺を訪れるためでした。五日市線に乗ったのは初めてで、中央線と変わらぬシルバーステンレスにオレンジのストライプが入った車体が、わずか4両で運行されているのに目を見張るとともに、それでも15分ほどには1本の電車が来る頻度に驚きました。2両編成の電車が1時間に1本、特急と普通が交代しながら運航している宮崎県を走る日豊本線とはえらい違いで、東京に住んでいたころは23区以外は田舎と言い放っていた区民の子供たちは本当に世界を知らないガキだったけれど、あいつらは俺よりも幸せな就職をして良い会社に勤めているのかもしれない、と一瞬考えたりもしました。駅から降りると、東京と地方のハイブリッドのような街並みが広がっています。戸建ての狭さや密度は間違いなく東京ですが、軽自動車が各家に1台あるのは地方的でした。雪女伝説が生まれたのは青梅でしたが、ここも相応に冷えるらしく、各家が車庫に透明なビニールシートを張ったりして独自の防寒対策をしているのが印象的でした。さて、と。大悲願寺のレビューは別にしますので、駅と町のレビューはこの辺りにさせていただきますね。
おそらく、50年以上来てない。全く立派な駅舎になりまして。 昔の寂しい田舎の駅ではありません。 でもね、おそらく変わらないのは、電車の本数。少ないです。 改札外にトイレありました。助かりました。
| 名前 |
武蔵増戸駅 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 評価 |
3.9 |
| 住所 |
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こどもの頃、始めて、五日市線に乗ってこの辺に来た時の感動を今でも覚えています。当時のこの辺から西側は、「高原の雰囲気」がありました。周辺には桜の木も見える桃源郷のような田舎の雰囲気で、高原の別荘地に似ている印象を受けたものです。現在は、一般の住宅も増え、通勤圏内の要素が増えましたが、今でも時折、そのような雰囲気をかもし出します。武蔵増戸(むさしますこ)駅のあるここの地名は「伊奈」と呼ばれ、五日市の名前の由来になった市(いち)が開かれていた中心地でした。合併前の旧五日市町内の地名でもありました。「五日市」とは月に3回ある5の付く日(5,15,25日)に市(いち)が行われるということです(後に10の日(10,20,30日)も加えられたそうです(5の倍数)。)。五日市街道の前身にである「伊奈みち」の「伊奈」とはここの地名のことです。付近の山々では「伊奈石」がとれ、この石材で造られた臼(うす)は軽くて挽(ひき)やすかったため取引商品として人気があったといいます。江戸時代頃になると、その西隣にある山と秋川による隘路(あいろ)で、山である「横沢」の方が市(いち)の中心地になっていったようです。江戸城の修復、築城等にここの石と石工を必要としたからです。檜原村の主要生産品である木炭も、ここ横沢の市(いち)で取引され、農産物や石とともに大いににぎわった五日市の市(いち)の中心がこの地域なのです。