鱒留川の丘陵で特別なひととき。
スポンサードリンク
スポンサードリンク
スポンサードリンク
| 名前 |
新治城跡 |
|---|---|
| ジャンル |
|
| 電話番号 |
075-414-5896 |
| HP | |
| 評価 |
4.0 |
| 住所 |
|
|
ストリートビューの情報は現状と異なる場合があります。
|
スポンサードリンク
周辺のオススメ
スポンサードリンク
スポンサードリンク
鱒留川の北側丘陵の尾根上に位置する。城跡は、東西の尾根に分かれて存在しており、丘陵の頂部には遺構が確認できません。東側の曲輪群は、比高差の大きな切岸を防御の主体としており、規模の大きな2つの曲輪の周囲を竪堀で区画された曲輪が取り巻いています。西側の曲輪群は、中心部が自然地形を利用した傾斜した曲輪で、東側に畝状竪堀を設けている。『丹後国御檀家帳』には「城主」として「御一家」の新治殿をあげています。『丹後国御檀家帳』の記載からは、新治殿が石川氏と血縁関係があったことが分かります。(石川氏の弟の説もある)また、近世地誌類には、加納下総をはじめとする複数の城主名をあげています。下記に情報収集した分を乗せておくと。文亀年間(1501~1504年)頃:城主は新治蔵人。建武年間天正年間初期(1573年~):城主は加納下総守天正十年(1582年)に落城したとされます。 攻め手は長岡興元か。正嘉五年(1257年)、安達丹後守頼景の居城伝わるようで、建武年間(133~36年)には新治蔵人が拠ったとされるようです。室町期前期では吉原山城の支城であったようです。その後戦国期に置いても吉原山城の重要拠点三大砦に該当する。なお、この新治氏は福知山市の河守城主の一族もある。この一族はこの地より移ったようです。まだ、訪問できていないので春になれば見に行きたい城跡。読み方は【あらはり】とあるが【にんばり】だったかは不明。(参考資料、京都府教育委員会、日本城郭大系など)