歴史を感じる、栗林中将の地。
明徳寺の特徴
由緒ある曹洞宗のお寺で、開山は1390年です。
硫黄島の戦い指揮官、栗林中将のお墓があります。
高坂弾正昌信の墓もあり、歴史的意義を感じられます。
白鳥神社からレンタサイクルで30分ほど。道路の傾斜は緩やかなものの、足にはかなりくる…そんな試練を乗り越え?ようやくたどり着いた明徳寺。参道には建屋で守られた祖霊社?、不動明王の石像が出迎え、仁王門でも“あうん”とご挨拶。高坂弾正公や栗林忠道さんのお墓にも手を合わせ、弥勒尊にもお参り。御朱印も拝受し、よくここまで来たもんだ…と帰りは、緩やか下りを風を切って走り、清々しい気分で自転車を漕ぐ。
映画、硫黄島からの手紙で渡辺謙さんが演じた栗林忠道中将のお墓があります。そして、川中島の戦いでも有名な武田家の武将、高坂弾正のお墓もある由緒あるお寺です。
石造りの建造物が派手なお寺でした。庫裏の裏にある小さな池を見逃してしまいましたが、ヒキガエルの産卵地で保護されているそうです。
凄い!歴史の人物をお参り出来るなんて光栄です。最初雨が降っていたのですがお参り後晴天になり何か縁を感じました。ありがとうございます。
このお寺には先の大戦の名将、栗林忠道中将のお墓があり、個人的に硫黄島の戦いで、東京を始め本土空襲から一日でも長く防ぐ為に命を賭して、硫黄島を死守してくださったことに感謝をし、また御冥福を祈りたくて参拝しております。合掌先日、長野インターを出て左折して、松代市街を通らず、そのまま直進して、明徳寺に行くことのできる道が出来ていて、とてもアクセスが良くなりました。近くにある皆神山の皆神神社にも行きやすくなりました。
去年の11月、長野県長野市松代町豊栄にある曹洞宗 明徳寺の御本尊・弥勒菩薩の直書き御朱印を頂きに参拝しました。南北朝時代の1390年(南朝:元中7年、北朝:明徳元年)に越後国刈羽郡の東福院5世妙徳により開山。明応10年(1501年)には正続円明禅師が中興開山となった。戦国時代には、甲斐武田氏家臣、信濃更級郡の香坂氏の養子となった海津城代で、信玄との男色関係でも名を残す春日虎綱(高坂昌信)の帰依厚く、1533年(天文2年)に諸堂を修理し重興開基となる。玉山春洞を招き曹洞宗となり現在に至ります。境内には高坂弾正昌信と太平洋戦争の硫黄島の戦い指揮官・栗林忠道の墓があります。ちなみに写真に写る墓は、高坂弾正昌信公のお墓であります。
静かな寺院です。栗林大将❔ 勉強不足で解りません❗
1390年(南朝:元中7年、北朝:明徳元年)に僧妙徳により開山。戦国時代には甲斐武田氏家臣で、信濃更級郡の香坂氏の養子となった海津城代の春日虎綱(高坂弾正昌信)の帰依厚く、1533年(天文2年)に諸堂を修理し重興開基となる。玉山春洞を招き明徳寺は曹洞宗となる。境内には虎綱の墓所があり、『甲斐国志』によれば明徳寺には香坂弾正虎綱の没年を天正6年5月初7日とする伝承を伝えているが、これは誤りであることが指摘される。
武田四名臣の一人で海津城主高坂弾正公、太平洋戦争硫黄島司令官栗林大将菩提寺です。重厚、荘厳なお堂が鎮座します。ご住職不在が多く御朱印は書置対応して下さいます。無料駐車場有。
名前 |
明徳寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
026-278-8621 |
住所 |
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HP | |
評価 |
4.2 |
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由緒あるお寺のようで、行くたびに、身が引き締まる感じがします。年に一度、故人を偲びに寄らせて頂いています。